書記長日記

中野剛志に注目

こんいちは、TKDです。

今日は久しぶりのオフ。元同僚の方々等と福井にそばを食べに行きました。4軒回りましたが、最後に入った今立町の森六のそばは香りが立っていて美味しかったです。創業は明治4年ということですから、もう140年以上商いを続けている老舗です。これからもがんばって下さい。もちろん他の3軒もお店も水準以上で美味しくいただきました。ただ、自分の中では楽しみにしていた店の、麺の質が落ちていたのは残念です。通販もしているようですから、手を広げすぎているのではないでしょうか。堅実に美味しいものをつくり続けるということは難しいですね。本当はもう1,2軒訪ねたかったのですが、それは次回のお楽しみに。

グローバリズムさて、なかなか本を紹介する余裕がなかったのですが、ここらで1冊。中野剛志『TPP亡国論』を読んで依頼、注目していました。まだTPPの問題が農業や医療という狭い範囲でとらえられていたときに、これは日本の社会全体の問題だと明快に示してくれました。「亡国」という言葉を使っていることから、保守の人だとわかると思いますが(もし、革新の側にいながらも「亡国」とか「国難」とかいう言葉を皮肉ではなく用いる人がいたら、その人は心情的には保守の人だと思います)、立場は関係なく明晰な論理的思考ができ、なおかつそれをわかりやすく書き表すことができる人だと思っていました。その中野剛志が、反グローバリズムという立場を同じくする内外の人とともに京都大学主催の国際シンポジウム「グローバル資本主義を超えて」に集まり、話し合った内容をまとめたのが、『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)です。この中で中野は、なぜ各国のリーダーたちが新自由主義という劣悪なイデオロギーを採用するのか疑問提起した上で、その答えを「エリートの劣化」として結論づけます。

 たとえばこういうことです。国家が経済に介入し、適切に金融市場を制御し、グローバルな資金移動を規制するには高い統治能力が必要です。規制しすぎるのも良くないが、規制しないのも良くない。ちょうどいい程度に規制するのは、相当の統治能力がないと難しい。 (中略)

 統治能力が弱い国家は市場を放置するしかない。統治者がノブレス・オブリージュの精神を捨て、好きにしてくれと職務を放棄してしまうわけです。つめり、なすに任せよ(レッセフェール)です。このことは、裏を返せば、統治者であるエリートは責任をとらなくていいということです。このような無責任を都合良く正当化するロジックを、何か理論めいたもので提供したのが新自由主義であった、ということなのではないでしょうか。

おもしろい視点ですよね。この本の中では、新自由主義やグローバリズムについて、傾聴に値する論考がたくさん出てきます。お薦めです。

 

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