本欄「書記長日記」も、書き始めてからはや1年半が経つ。しかし、その概ねは、ど~でもよいことばかりで誠にお恥ずかしき限りだが、今週は3日連続で。
さて、今日は「日記」という言葉が入った俳句をネットで少し探ってみた。「日記」だけでは季語にはならないが、「古日記」や「日記買う」とすると季語となる。俳句もなかなかに奥が深い。
古日記しづかに雨を聴く日なり 田代史子
う~ん、いいのだが、ややベタか。この雰囲気は好きなのだが…。今日も雨がそぼ降っている。
ひととせの何と平凡古日記 北尾章郎
「ひととせ」とは一年のこと。そうだなあ~、我が「書記長日記」の「ひととせ分」を読み返してみても、全く同感だ。微苦笑しつつ、チョット反省した。
これだけは生くる十年日記買ふ 野田ゆたか
これである!この感じが俳句だーと痛感した。若き日の十年は、放っておいても流れ去る。しかし、六十歳を過ぎると、「自分はあと何年生きることが出来るのだろうか」と真剣に想う日がある。老いた十年とは、自らの意志と天運(これが大きいのだが)で刻みつけるモノだ。この句の、「これだけは生くる」という響きが力強い。こんな老人となりたいものだ。
さて、私のこの「日記」も、そう永くは続くまい。しかし、ここまできたのだから、最後まで粘りたいものだ。
時どきの心覗かせ日記果つ 木下和代
こんな感じでこの「日記」が果てるよう、最後まで精進したいと思っている。