書記長日記

作る阿呆に、読む阿呆

こんにちは、TKDです。

今日は書記局の片付け?をしていました。ロッカーの中やレターケースの中を外に出して、不要なものを捨てたりしました。余裕あるね、と言われそうですね。本当は、来週の分代会の準備をしなくちゃいけないし、その前に情報の原稿を書かなくてはいけないのですが、ちょっと「逃避」してました。

今日の夕方5時、委員長が「しまった、もうこんな時間だ!」と叫ばれ、そういえば5時に委員長が支援学校を訪問する予定だったと私も慌て、「まずは支援学校に電話してください」と言い、委員長は何度もかけそこね、とバタバタ。私が電話したところ、組合員の方は会議中だったので、委員長の到着が遅れると伝言を頼み、委員長が出発しようとしたその時、副委員長が隣の部屋から顔を出され、「それって今日だったっけ?」。そこで全員我に返って、「明日の話じゃないか!」。私は慌てて学校に電話し、「さっきの伝言はなかったことにしてください」と謝るハメに。何をしてるんだか。冷静なのは副委員長だけでした。

さて、昨日は本屋に立ち寄りました。いつも本屋は楽しいのですが、私を不快にさせるコーナーもあります。隣国に対して「愚」だの「呆」だのという文字をつけて貶めようとしている一群の本を並べたコーナーです。雑誌のコーナーに行っても、そういう特集を組んだ雑誌やムックがいくつもあります。そういうものが売れるから作るらしいのですが、まさしく「作る阿呆に、読む阿呆」ですね。その国の政権や政策を批判したり(例えば、戦争屋ブッシュJr.の軍産複合体に操られた政治を批判したり、プーチンの批判勢力根絶やし恐怖政治を批判したり)するのは構いません。しかし、国や民族そのものを貶めるような言論は、差別を煽るヘイトスピーチと同列です。少なくとも、本当に「愛国心」を持った人間が作ったり読んだりするものではありません。なぜなら、ならず者の方便としての「愛国心」ではなく、自国のことを本当に大切に思っている人なら、他国の人の同様の気持ちもまた大切にするはずだからです。私自身は、自分の育った「社会」を良くしていきたいと思うし、自分が慣れ親しんだ文化は長所も短所も含めて大切に思っています。ただ、「愛国心」という言葉には、その言葉や概念を利用して多くの人々を惨禍の中に陥らせた歴史を考えると、反発を覚えます。でも、愛国心を大事にしている人を否定する気もありません。1つだけ言えることは、他国や他民族を侮辱する人間の「愛国心」などは認めるに値しないということです。

少し言葉が過激になりましたね。でも、本屋のあの一角に行ってみてください。ネット上の罵詈雑言もそうですが、本当に心が汚されるような思いがします。それでつい、こちらの言葉まで汚くなってしまいました。すみません。その時に本屋で買った「週刊金曜日」にいい記事が出てたので、明日紹介します。私の大好きな伊藤千尋さんの記事です。お楽しみに。

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