書記長日記

全国学力テストは存在そのものが問題

こんにちは、TKDです。

新聞報道でもご存じのとおり、米倉斉加年さんが亡くなりました。直前まで活躍しておられたので、驚いていますし、残念です。米倉さんは3年前の県民に送る夕べに講師として来ていただきました。いろんな話題を行き来しながら、それらがまとまっていき、最後は「大人になれなかった弟たちに」の朗読で幕を閉じるという、すばらしい講演でした。講演後の懇親会にも出させていただきましたが、お年にもかかわらず健啖家で、そのヴァイタリティに圧倒されました。ですから、今回の急逝には驚かされています。私たちはまた一人、すばらしい役者を失いました。

さて、今日は分会代表者会議でした。職員会議などが入っている職場もあり、なかなか参加が難しいかと思っていましたが、多くの分会から集まっていただきました。前半は発言がなく淡々と進んでいきましたが、最後近くになって、人間ドックの見直しや被服貸与の見直し等で発言が続きました。確かに現実的な問題であり、もっと早い議題に回した方が良かったかもしれません。でも、どの議題で発言が出るかなかなか読めないのです。教文関係は発言が出ないのは読めるんですけどね。

今日の分代会の話題にはしませんでしたが、全国学力テストの都道府県別の平均点が発表され、マスコミ等でも話題になっていました。富山県は順位が上がったと大喜びです。今までそんなにしてこなかったテスト対策をやったんだから上がって当然。むしろ、そのために失われたものに焦点を当ててほしいのですが。とにかく罪深いです、全国学テは。そう考えると、昨日の朝日新聞の社説は物足りないです。「順位より分析に目を」と題を打っているので、もちろん学校ごとの成績公表には反対だし、教科横断型の学力が大事だと言っているし、都道府県が小さな点差の中に収まっていることを指摘しているのですが、それを受けての結論は「わずかな点差に一喜一憂するより、地道な授業改善に役立ててほしい」だと。情けないですね。都道府県の平均点を公表し順位が分かるようにしている限り、本質的な授業改善には役立てられず、過去問と模擬テストによるテストのための訓練になってしまうことはこれまでの歴史が証明しているじゃないか。社説で言っていることは、抽出テストでできるのだし、毎年行う必要もない。むしろ各地で行われている歪なテスト対策こそ報道すべきだと思うのです。

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