賃金確定交渉まっ最中の11月中旬である。
どう考えても、地域手当には納得できない。「富山県」という組織に勤める私たち高校教員が、何故に「富山市勤務者のみ」に地域手当が支給されるーという、おかしな制度を認めなくてはならないのか。この奇妙な制度によって、全県一円の異動に問題が生じ、勤務地域の不公平感を高め、働く士気全体に影響を与えている。教育の世界に正々堂々と(?)奇妙な「不平等」を持ち込むことは、全く、変だ!
ところで、私が、賃金問題に関わる御上の所業に対して、「これは、どう考えても変だ!」と決定的に思ったのは、2013年3月の「退職手当大幅削減」の時である。
この問題を、さっと復習すると以下の如し。
★退職手当の大幅削減(2013年3月から)
2012年8月、政府が国家公務員の退職手当削減法案を提出。11月16日、衆議院の解散直前に強引に可決し、13年1月から施行。3段階の経過措置で平均約402.6万円の削減。
総務省は、「国家公務員準拠」を理由に、各自治体に退職手当の引き下げを通知。
2013年2月18日の県議会で条例案が可決。3月18日施行。
経過措置を経て、2015年現在、高校の教諭では2013年3月に比して最高428万円が削減されている。
よりによって「3月18日」に試行とは!!この日は、県内の中学校の卒業式だった。退職者が、任務を最後まで全うすれば退職金が下がり、中途で辞めれば心が残る。このような非倫理的な二者択一を迫ることは、およそ、人間の行為ではない。
組合活動の力は、「変な事を変だ」と思い、声をあげることで高まるのではなかろうか。私は、「変だ!」と思う感性と、「変だ!」とあげる声(=「理性と身体との結節点」と南出吉祥岐阜大学准教授は述べている)を失いたくない。
但し、「変な人だ!」とは、あまり言われたくないが。