先週から、書記局での私専用パソコンの調子が悪い。ついに金曜日には業者修理に出した。誠に都合が悪い。この「日記」は、書記局に1台だけある共用パソコンで書いている。
現在では、パソコンがないと、全くと言ってよいほど仕事が進まなくなっている。しかし、私が新採で教員になった33年前は、パソコンなど誰も使ってはいなかった。当時のプリントは、当然ながら、全てが「手書き」だった。当時、「漢字タイプライター」という巨大なタイプライターがあり、亡父が家に持っていたが、文字を打ち込むのには極めて時間がかかるシロモノであった。ワープロやパソコンなどは「なくて当たり前」の時代であった。
その後、まずは日本語ワープロが普及し、さらにはマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」の開発によってパソコンが飛躍的に普及した。その結果、我々はパソコンなしでは仕事が出来なくなってしまった。
なるほど、パソコンは便利であり効率的であり多面的である。文書保存が出来るので、過去の文書を元にして新たな文書作成がスイスイと出来る。表計算はもとより(私は大いに苦手だが…)インターネットやeーメール(もはや「eーメール」の「e」は死語か)もOKだ。しかし、私たちは本当にパソコンの出現で仕事が楽になったのだろうか。
ここは多くの意見のあるところだと思う。単純に「機械に使われて人間疎外になった」などと言は言うまい。だが、「パソコンの出現によって、ますます仕事が増えて辛くなった」という多くの声を聞くのも事実だ。この辺りは、「長時間過密労働の解消」という観点からも、今後、考え続けなくてはならない点だと思う。
さて、本日も我が机上にはパソコンがない。「不都合だ!」と思う一方で、「何か、楽になった感じだなあ~」とも思う。さてさて、パソコン様の「威力」は大きいのだが、その「魔力」面もまた、我々は考え続けなくてはならないだろう。