本年度第1号の木枯らしが吹く東京へ、昨日行ってきた。「16年秋季年末闘争中央行動」に参加するためである。
ここのところ富山も寒いが、東京も寒かった。日比谷野外音楽堂での集会中は震えていた。天気は佳いのだが風が冷たい。集会中、フト、空を見上げたら『智恵子抄』を思い出した。
「智恵子は東京に空が無いという ほんとの空が見たいという 私は驚いて空を見る 桜若葉の間に在るのは 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ 智恵子は遠くを見ながら言う 阿多多羅山の山の上に 毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だという あどけない空の話である」(高村光太郎『智恵子抄』所収「あどけない話」)
この時代の東京の空は、どんな空だったのだろう。大気の汚染度云々よりも、「東京の自然の欠如」が智恵子に感じられたのか。昨日の日比谷の空は青かった。しかし、ビル群に囲まれていた。
自然と文明の兼ね合いー難しい問題だが、私たちが避けて通ることの出来ない大きな問題だ。単に「昔はよかった」で済ますことの出来る問題ではないだろう。今後も深く考えて行きたいと思った。