書記長日記

「どんな教育を目指すのか」を!

雨の月曜日。この土日は全教の会議に行ってきた。

私は、その会議で、「全教はどんな教育を目指すのかを具体化せねば!」という趣旨の発言を行った。

先の新川支部教研で、講師の門脇氏は「近代公教育の機能は『選択と配分』だ。つまり、産業社会の経済的発展のために、生徒の優劣を『選択』し、それぞれに合わせた進路へと『配分』することだ」と述べられた。これが、いまも大きくは変わっていない。

本県の教育大綱には、「教育の基本理念」として、「ふるさと富山に誇りと愛着を持ち、地域社会や全国、世界で活躍し、未来を切り拓く人材の育成ー真の人間力を育む教育の推進ー」が掲げられている。簡単に言えば、これは「進路指導」である。「世界で活躍」する「人材」を育てるーこれが目標だ。しかし、そのような「人材」は全ての生徒の内の極めて少数であろう。「その他」の生徒たちをどうするのか?

安倍「教育再生」にしても、本県教育大綱にしても、「優れた人材づくり」が教育の目標だーという点で何ら変わりがない。それは、150年も前に始まった近代公教育の目標から一歩も進んではいない。

長時間過密過重労働に苦しむ学校現場は、このまま「苦しみ続けること」を甘受してはならぬ。その改善のために、まず第一に必要なことは、「何を目指して教育を行うのか?」という点を改めて考えることだ。教育の目標は、決して「優れた人材育成」であってはならない。例えば「よき市民の育成」などの新たな目標が立てられるべきだ。私たち全教は、今後、それを具体的に考えねばならない。

だが、「理念」だけの提起はダメ。全ての改善は、「現場の不満や声」をスタート地点としなくては効果がない。そのために、「いまの学校や教育活動の問題は何なのか?」という現場の声を丹念に集約しなくてはならない。「不満・困難」をスタート地点として、新たな「理念」を築き上げなくてはならぬ。「理念」とは、そのような地道な作業の中から生まれるはずだ。

会議でこのような事を述べた。反応は、イマイチ?しかし、私は、決して諦めることなく、このような作業を始めたいと思っている。

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