「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない」(ミヒャエル=エンデ『モモ』岩波少年文庫)。
今日の教員にピタリと当てはまる言葉だ。なぜ、いまの学校には「やるべき仕事」がこんなにも存在するのか?いや、それは「本当にやるべき仕事」なのか?この土・日に開催された横浜での全国規模の学習交流集会に参加して、改めて考えた。
先に小欄で述べたが、「学校の長時間過密過重労働の原因は何なのか」の解明が、いまの私の、いわばライフワークである。「長時間過密過重労働」とは、「自分の貴重な時間を、誰かにムザムザと盗まれること」だ。まずは自己防衛が必要だが、自己防衛だけでは防ぎきれない大きな壁が学校教育に存在する。その壁の正体を解き明かし、その壁をブチ壊す方法を考えることが私の仕事だと思っている。
長時間過密過重労働の究極の行き着く先は、「電通事件」の様な過労死だ。それでよい訳がない。人はいつか教員を退職し、そして死ぬだろう。それは無限の先の話ではない。その時に、「これでよかった」と思うことができるような教員生活でありたい。だからこそ、長時間労働問題の解決は喫緊の課題なのだ。
呆けていたら、教員は時間泥棒に自分自身の時間を盗まれ続けてしまう。「誰にとっても、1日は24時間。寝ないと、休まないと、人間は倒れる」とは私のモットー。
時間泥棒に私たちの若き日の貴重な時間を盗まれないために、即刻、私たち自身で真剣に考えなくてはならぬ事が山積している。その解明こそが、組合活動の一つの使命だと私は考えている。