9月28日の第2回評議員会の第3号議案で、執行部は「安倍改憲をめぐるとりくみについて」提起しました。職場で多忙化がひどい実態がある中で、憲法オルグ(憲法カフェ)やポスティング行動など負担を強いる行動の提起でした。採決では「反対2」「保留9」があったものの、賛成多数にょって可決されました。「執行部が憲法オルグで組合員へ丁寧な説明を行うこと」と「分会でできる取り組みを行うこと」というのが、会議での合意できた点だと思っています。
さて、その質疑の中で「高教組は自衛隊についてどのように考えているのか?」という質問が出ました。この質問には委員長が回答しましたが、私は私で頭の中で「自分は自衛隊についてどのように考えているのか?」と自問自答しました。以下に記述することは、高教組としての立場を代表して・・・というより、自分自身が頭を整理するために書くものです。その点、誤解なきようお願いします。
多くの憲法学者が言っているように「自衛隊は憲法違反」なのだろうと思います。これも私自身、憲法をものすごく勉強した訳ではありませんので、難しいことは分かりません。でも、9条を単純に読めば、「二度と戦争をしないように『戦力の不保持』と『戦争の放棄』を決めた」ということだと理解しています。となれば、「自衛隊」の存在は9条に矛盾しているのは、明らかだと思います。自衛隊は戦力ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」と1954年の政府見解で言っていますが、これは後付けした理屈でしょう(その理屈を考え出した当時の人たちはある意味すごいと思いますが・・・)。
でも、「自衛隊は憲法違反だから、今すぐ自衛隊は廃止せよ!」とか「自衛隊の存在そのものを否定している」とは、自分自身思っていません。戦後の日本が刻々と移り変わる国際情勢の下、「自衛隊」を組織した背景も理解できます。また今の国際情勢で「自衛隊をなくす」という選択肢はありえないとも思います。憲法9条に書かれているのは「理想」です。現実は違う。でもだからといって、現実に合うように憲法を変えていいのか?とも思っています。憲法9条が本当の意味で実現する社会をめざすことは大切だと思います。それが50年後になるか、100年後になるか、もっと先なのかは分かりませんが・・・。今の部分だけを切り取って、「自衛隊を憲法に書き込む」というのは、どうなのかな・・・と思っています。
自分は、理想として憲法9条が本当に実現する社会がベストだと思っています。でも、今の国際情勢では難しい。となれば、「憲法違反の自衛隊」と「憲法に明記された自衛隊」では、どちらがよりベターなのかを考えます。私は前者だと思っています。安倍首相をはじめとする日本会議の人たちの最終的な目標は、今のような制限された「集団的自衛権」ではなく、フルスペックの「集団的自衛権」を行使できる自衛隊です。ゴールがそこにある以上、「憲法への自衛隊明記」は、ただの通過点に過ぎなくなります。「憲法違反の自衛隊」だからこそ戦争への歯止めになっていたことが、歯止め事態がなくなってしまえば、今後自衛隊が「殺し殺される」ことになっていくリスクが格段に高まると思います。
この問題は、「今後日本がどのような国際貢献をしていくのか?」という問題にもつながっていると思います。他国、特にアメリカと歩調を合わせて、日本も国際平和のために武力を行使(戦争)していくのか、もっと別の道を探っていくのか、ということです。私は、後者の道を選びたいと思いますが、みなさんはどうでしょうか?