富山高教組のおすすめ

『かさじぞう』には、教育の原点が隠されている。

傘地蔵 今月、取り上げる「富山高教組のおすすめ」は絵本です。誰もが知っている『かさじぞう』を取り上げます。

 実は私、この『かさじぞう』のお話が大好きなのです。『かさじぞう』は、日本のおとぎ話の一つで、貧しいけど心の清いおじいさんが、道端のお地蔵様に菅笠を被せてあげ、その御礼にお地蔵様から恩返しを受けるという話です。

 私がこのおとぎ話が好きな理由は、ずばり悪人が出てこないところです。『かさじぞう』と同じように有名なおとぎ話には『花咲じじい』や『舌切り雀』などがありますが、これらのおとぎ話には善人と悪人が出てきます。でも、『かさじぞう』には出てきません。あえて悪人を探そうとすれば、おじいさんが町で自家製の笠を売りに出かけた時に、おじいさんの傘を買ってあげなかった町の人たち、ということになるのでしょうが、それはかなり穿った見方だろうと思います。

 もう一つ、好きな点。それは、おじいさんが売れ残った傘をお地蔵様に被せ、手ぶらで帰った時のおばあさんの言葉です。みなさん、この時おばあさんが何と言ったか覚えていますか?それは、「まあまあ、それはよいことをしましたねぇ」です。こんなすごいおばあさんはいるでしょうか?売れ残ったからといって、売り物の傘を雪が降って「寒そうだ」という理由で、お地蔵様に被せてあげた、そんな一銭の得にもならないおじいさんの行為を、非難するどころか、「よいことをした」というおばあさん。すご過ぎです。

 ふと、「善人しか登場しない『かさじぞう』は、教育の原点が示されているのではないか」って思います。性悪説ではなく、性善説の立場をとる『かさじぞう』。本来、人間はおじいさんやおばあさんのような優しい気持ちをもっているのかもしれません。ふと、自分が教師であることを考え合わせて、「子どもたちを善人として、ちゃんと接してきたであろうか。悪人として子どもたちを見てはこなかったか」と反省しました。

 大人になってからもう一度、おとぎ話を読む。そこには子どものときには気付かなかった新しい発見があると思います。絵本の読み方は人それぞれだと思います。自分の感性で読んでいただければ、と思います。

 たまには日々の生活を離れて、おとぎ話の世界に浸るのもいいものです。

 

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