緯度が高い地域です。訪れた夏の間は白夜で、スウェーデンからフィンランドに向かうシリアラインの船から撮影した夜9時の夕陽です。船で出会ったムーミンはフィンランド生まれのアニメーション。ムーミンの世界の美しい森が、フィンランドの自然そのもの。ムーミンの世界に登場する仲間たちは、フィンランドの自然の中で、自然を愛することで育まれたあたたかい心を持っています。
スウェーデン、フィンランドでは、教育費が無償です。
日本では、「義務教育は無償」といっても、教育に必要な筆記用具、教科書、ノート、給食費、諸経費など、たくさんの費用が保護者負担として必要になりますが、それらが全て無償です。そして、子どもがどのような環境で生まれても、児童手当が保障されているので、平等に育っていくのです。人々は学びたい時にいつでも大学へ行くことも保障され、授業料や給付制奨学金の支給も充実しています。
これこそが、社会全体で子どもを育てるということですね。
スウェーデンは、福祉国家として有名な国です。
「国民は高い税金を支払っているから」と日本との違いを強調する場合が多い。しかし、スウェーデンでは政府と国民の間の信頼とチェック・アンド・バランスが正しく機能しているということ。スウェーデンのマスコミは、政府が透明な政治をしているかをきちんとチェックしているということ。
これらのことが、「人々は安心して高い税金を支払い、国は本当に人が幸せになるように福祉にお金を十分かける」ということを可能にしているのだとわかります。しかし、何といっても、「一人ひとりを大切にする教育」を受けてきた国民性が、この高福祉高負担のスウェーデンモデルを可能にしているといえます。
また、クオーター制導入で女性の社会における地位の向上を可能にし、女性は社会で活発に自己の能力を発揮します。社会全体の働き方も、社会的弱者である女性に合わせています。そうすることで、男女が平等に子育てできるのです。男女が平等に社会で活躍し、安心して子育てできるので、出生率も高く、人々の生活しやすさの指数が高まり必然、国際競争力も高くなるのです。なんといっても、人々が幸せに生きていることが印象的でした。
※クオーター制:政治における男女平等を実現するために、議員・閣僚などの一定数を女性に割り当てる制度。北欧諸国などで、法制化して実施されている。(デジタル大辞泉より)
200年以上戦争がなく、旧市街(ガムラスタン)は古い時代の建物そのままでとても美しい街。戦場にならずに歩んだ歴史は、経済的に力のなかった国の力を結果的に高いものにしたのです。
また、国土の半分以上が湖と森林です。その自然とともに生きることを大切にした教育が野外教室(ムッレ教室)。幼児期から大人まで体験することを積極的にすすめ、人々の心を豊かに育んでいます。
「五感を通した豊かな経験があって初めて情緒と言葉がつながり、人と共有できる言葉になる。」と、現尚絅学院大学・女子短大教授・付属幼稚園園長 岩倉政城先生から、宮城県で行われた女性教職員交流集会で学びました。
野外教育で育まれる教育効果の大きさを感じます。
今、日本では、危険だから、学習する時間がなくなるから、他にすべきことがあるから、・・・・と言って、自然をゆっくり体感することも、思いっきり外で遊ぶこともしなくなっています。このことが、人と人とのコミュニケーション力の基盤を失わせているのだと気づくべきなのでしょう。
フィンランドでは、世界学力調査で上位にランクインしていることであまりに有名です。しかし、本当に見るべきデータは「環境維持可能指数世界一」「政治家の汚職が少ないと評価される国世界一」「男女格差の少ない国上位」です。フィンランドの国家全体が一人ひとりのひとを大切にする「人権意識の高い国」であると感じます。
フィンランドのヌクーシオ国立公園を訪れました。そこで自然享受権を楽しむたくさんの人々に会いました。短い夏の美しい自然を存分に体感し、豊かなこころを育む人々でした。
ヴィヒテ町の教育委員会を訪問しました。
フィンランドでは
「すべての子どもに平等な教育を」
「現場への信頼感」
「質の高い教員養成」
という理念が根幹にあります。
一人ひとりの個性を理解し支援するために幼児教育を重視し、就学前教育(プリスクール)を行っています。もちろん無償です。
現場への信頼感が強く、国による教科書の検定制度を廃止し、現場の先生が自ら、カリキュラムをつくり責任を持って授業を行っています。質の高い教員養成を国が責任をもって行っています。
そして、懇談で強く感じたのは、フィンランドの国が目指す教育と今の日本の国がめざす教育が対照的だということです。
「一人ひとりが自身の学習能力や人間的成長を高めること、自分のために楽しんで学ぶことが大切であって、決して人と比べることはしない。」とマルヨ・オヤヤルヴィ教育主管の力強い言葉に、日本ですすめられている競争教育を恥ずかしく思いました。
オヤッカラ小学校に訪問しました。クラスには20数名分の机といす。さらに、教室の後ろの方には、集中できないでいる子どものための机といすが、楽しそうな文具とともにありました。
そして、さらに、廊下には、さらなる少人数指導用の机といす。
まさに、徹底して一人ひとりの学びを大切にする教育です。
専門職指導のための施設の充実ぶりにも驚きました。小学校なのに、工作用の道具や高度な工業用の機械、ミシンだけでなく、機織りの機械まで準備。音楽室ではあらゆる楽器を置いて、好きな楽器演奏を学ぶことができるのです。
キロンプイスト総合学校のペッテリ・シネルバ先生と懇談しました。フィンランドにおいても、教育の様々な問題に教員は悩むことが多く精神的にハードな仕事であることは、日本と変わることは全くなく、2か月半ある夏休みでしっかり休養をとらねば教員を続けることは困難である事実を指摘。日本の教員の労働の状況を説明すると非常に驚き、「そのような労働環境では、教員を続けることができないであろう。」と我々日本人教員に同情の念を示しました。
フィンランドでは、教員の地位は非常に高い。そして、国は教育の大切さをよく理解し、財政難の中、賃金水準を保っています。育児休暇制度もスウェーデンと同じように男性の多くが取るようにしています。
資源が少ない小国フィンランドは、人を資源とし、教育に投資する政策に転換。以前は日本と変わらない競争教育でした。勤勉である性格は、フィンランド人と日本人共通の性質です。だから、PISA(世界学力調査)で、2か国は常に上位に位置します。しかし、今の日本の教育のままでは、学力世界一を手にしても、ひとのこころは壊れてしまうではないでしょうか。
旅人:富山高教組 書記次長 松井恵美子