こんにちは、TKDです。
ガザではいまも戦闘が続いています。パレスチナ側の死者は1500人を超えました。イスラエルは兵士の戦死が60数人、市民の死者が3人。驚くべき非対称です。やはりこれは戦闘と言うより虐殺とそれへの抵抗と考えるべきでしょう。もちろんハマスを全面的に肯定することはできませんが、この悲劇を止めるためには(いや、この悲劇に限らず)強い側が寛容さを示すしかないと思います。
さて、今日の朝日新聞に映画監督の周防正行さんのインタビューが載っていました。周防さんは「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員として、取り調べの全面可視化などを主張してきました。しかし、裁判所・検察・警察など司法からの委員が強硬に反対し、答申案は骨抜き状態になりました。全面可視化は裁判員裁判事件などに限られ、全体の2%に限られてしまいます。周防さんの作品『それでもボクはやってない』で描かれた痴漢冤罪などや村木厚子さんの事件なども対象外です。ただ、最終的に周防さんはこの案に賛成します。2%でも全面可視化を入れることが今後に生きると考えたからです。
このインタビューでおもしろかったことを紹介します。
周防さんは、裁判員裁判に関する事件だけでも全面可視化が義務づけられることで、その他の事件でも警察・検察が都合のいいところだけ録画して証拠にすることが難しくなると言います。「なぜ一部なのか」と問われるからです。また、裁判員裁判の対象事件では全課程を録音・録画する中で、どうやって取り調べればいいのかという点では、かなり高いハードルだ、とも指摘します。
部会の委員構成について、知り合いの弁護士は「絶望的なメンバーだね」と言ったそうです。周防さんは、それで取材だと思って委員を引き受けたそうです。道理で、周防さんはこの間いろいろなメディアで会議の様子を報告しておられます。これは、会議では少数派のためメディアを使って世論に訴えるかしかないという理由もあると思いますが。
問題なのは、足利事件や厚労省の村木厚子さんの事件など冤罪を受けて、この会議がつくられたにもかかわらず、司法関係者に冤罪を作り出した反省が全く見られないことです。無実の人を罪に陥れた(陥れようとした)反省がないということに恐ろしさを感じます。
否認すると拘留が続く「人質司法」は冤罪の温床として国際的にも批判を浴びています。しかし、会議では「人質司法」というような現状はないという認識が多数派だったそうです。これでは改革など出来るはずもありません。特に裁判官の委員の抵抗は凄かったそうです。
私自身、冤罪の根本的な原因は裁判官にあると思っていました。客観的な証拠がない中での自白の強要も、最終的に裁判官が証拠として認めなければ、警察や検察は捜査・取り調べ方法を変えざるを得ません。周防さんはインタビューの最後で次のように提言します。
裁判官には、裁かれる側の視点から刑事裁判を見るという経験を一度でいいからしてもらいたいですね。そのためには、弁護士として一定年数仕事をすることを裁判官になる条件とするような制度を考えてみてもいいのではないでしょうか。