こんにちは、TKDです。
月曜の夜9時は、文科大臣が道徳教育とのタイアップを打ち出すなど文科省お墨付きのドラマ、「HERO」が放映されています。ついつい見ています。型破りの検事に興味があったからです。でも、どんどん冷めていきます。なぜか? あまりにリアリティがないからです。キムタク演じる検事が出てくるたびに服が違うとか、取り調べの時に事務官が検事を差し置いてしゃべるとか、いろいろありますが、何よりも職場の暇さが、ね。もちろんドラマだし、ゆとりのある空間の中でのコミカルなやりとりがこのドラマの魅力の一つだということは分かっているんです。自分の言っていることは野暮だなとも思うのです。でも、ブラック企業に限らず、成果主義で追いまくられ余裕をなくしている職場が巷にあふれている中で、そして何よりも学校職場がブラック化する中で、検察のこのアホな余裕はなんなの、と思ってしまうのです。
そして、今回の中では許しがたい発言がありました。キムタクの追及に容疑者は「冤罪だ」と叫びます。それに対してキムタクは(正確には覚えていませんが)「あっ、今のはダメ」「そこのところは、こっちもていねいにやっているんで」というようなことを言うのです。なぜ、こんなやりとりを入れる必要があったのか。これだけ冤罪が問題になっているときに。でも、冤罪が問題になっているんだからこそ、わざわざこんなやりとりを入れたんでしょうね。これで、このドラマは検察のあり方に一石を投じるものではなく、「検察の広報」に成り下がってしまいました。来週からは見ないだろうなあ。
さて、日曜に手に入れた季刊「POSSE」の最新号(といっても6月末には発売されていたのですが)。特集は「そして誰もいなくなった?少子化×マタハラ」。その中で、今度の夏季学習会に講演してくださる竹信三恵子さんが「マタハラがあぶり出す『標準労働者』の歪み」という記事を書いておられます。家庭を顧みない企業戦士を「標準労働者」を見なす日本の企業社会の中で、出産・育児を抱える女性労働者が「規格外」の「二流の労働力」として見なされてきたこと、男女雇用機会均等法の制定も男性並みに働くことを要求され、それができない人の待遇は非正規化などによってかえって劣悪になっていったこと等が、わかりやすく書かれています。その中の一節。
日本の戦後の標準労働者像は、実は平時のモデルではない。戦時下の「男は戦地、女は銃後」を、「男は会社、女は家庭」に置き換え、家庭をよそに「月月火水木金金」と働いて「経済戦争」に勝ち抜く男性を、銃後の妻が支えるというライフスタイルがそこにある。会社が代行して賃金から所得税を差し引く源泉徴収制度も戦費調達のための制度だった。夫が心おきなく戦死できるよう整えた年金制度、兵力増強のため、妻が家庭で多数の子を産むことを目指して設けられた配偶者控除など、戦時の仕組みは戦後の働き方の至る所に生かされている。
そうか、源泉徴収が戦時下の制度であることは知っていましたが、結局日本の戦後社会は戦時下の制度をそのまま維持し、経済競争に勝利したんですね。でも、その中で「サービス残業」「単身赴任」などが常態化し、「カローシ」が国際語となるようなことになってしまったわけです。そして今、若者たちが働く職場はどうなっているのか、日曜日に竹信さんに語ってもらいます。