書記長日記

『反撃』鎌田慧+小森陽一

こんにちは、TKDです。

昨日は真鍋さんからのメールに感激して、そのことを書きました。今日は月の最後の木曜日なので、いつもなら朝日新聞の論壇時評を話題にするところですが、それは明日に回して、土日に読んだ本のことを書きます。

反撃6月に小杉平和9条の会が主催した小森陽一講演会で購入した『反撃 民意は社会を変える』という本です。ジャーナリストの鎌田慧さんと小森さんの対談がおさめられています。いろいろおもしろかったのですが、2点だけ紹介します。

1つは、「七社共同声明」です。60年安保闘争の時に、国会に突入した学生たちと警官隊が衝突し、樺美智子さんが亡くなりました。これに対して新聞7社が、国会前行動は暴力行為だと非難した声明です。鎌田さんは次のように語ります。

広告代理店の電通の吉田秀雄、朝日新聞の笠信太郎らが主導して、「議会政治を守れ」という社告を掲載し、国会デモを暴力として批判しました。デモは暴力ではないのです。「新聞が死んだ日」とも批判されています

これに対して小森さんが答えます。

これが、日本における直接民主主義についての大手メディアの報道の在り方を決定するキッカケになったと私は考えています。

この指摘を受けて鎌田さんはこう言います。

確かに、マスメディアは、それ以来五〇年間、市民の集会やデモをほとんど報道してきませんでした。

私はずっと疑問だったのです。なぜ、マスコミはデモを報道しないのか、と。確かに、労働組合が動員した人たちばかりが集まって、惰性でシュプレヒコールを叫んでいるデモは、私が報道関係者でも報道しないと思います。でも、06年に教育基本法が変えられる前には、危機感を持った多くの人が日本の各地から国会前に集まったり、地方で集まったりしましたが、全く報道されることはありませんでした。そして、3.11後の脱原発を求める集会やデモも、新聞はなかなか大きく報道しませんでした。その背景に60年以上前の出来事があったんですね。このマスコミの姿勢を変えたのが、脱原発を求める人々の大きな動きであり、それが昨年末の特定秘密保護法反対の行動や、今年の集団的自衛権行使反対の行動の報道につながっています。

2つめは運動の在り方です。鎌田さんは、戦後の労働運動には軍隊帰りの労働者の影響があったことを指摘します。

運動はだいたい動員方式で、集会があると軍の司令官みたいな幹部が演説をし、デモ行進も旗を掲げて、まるで武装集団のような感じで進んでいったものです。その名残がいまも残っています。運動がそういう古い形を受け継いできましたから、デモ行進をやっても、旗竿をいっぱい掲げて行進していくというのでは、街の人は違和感でしか見ないのです。

戦後の流れの中で、軍隊の影響があったこと自体は否定していませんが、それがその後も残ったことについては否定的で、次のように続けます。

デモ行進というのは、もともと示威行進だったのです。官庁などにデモで押しかける場合はそれでもいいのですが、原発運動とか、いろいろな権利闘争で街の人たちに理解してもらおうとするときは、それではだめなのです。労働組合がそうしたやり方でたたかっていると、形はつくれますが、主張が市民の中になかなか浸透しないわけです。自分たちだけでたたかっていて、だんだん孤立していくということになっていきます。

3.11後の「さようなら原発運動」を主導してきた鎌田さんならではの言葉です。ぜひ、多くの「活動家」の皆さんに読んでもらいたいと思います。

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