書記長日記

関心を持ち続けましょう

こんにちは、TKDです。

一昨日・昨日と夏季学習会が開かれました。忙しい中参加してくださった方、ありがとうございました。でも、参加してよかったと思ってもらえる内容だったと思っているのですが。講師のお二人とも明快な語り口で、一日目の小池さんは自らの教育実践を、二日目の竹信さんは厳しさを増す雇用・労働状況の中で学校が生徒に教えるべきこと・育てるべき力を分かりやすく話してくださいました。後日、富高教情報等で紹介します。

さて、前回の書き込みで朝日新聞の従軍慰安婦問題についての検証のことを書きました。「文藝春秋」の今月号の新聞広告を見ると、「朝日新聞破れたり!」という見出しで櫻井よしこらが語っているようです。相変わらず「鬼の首を取ったかのような」はしゃぎぶりです。まあ無視することにして、その朝日新聞がこれまた一昨日・昨日とオピニオン欄に注目すべき二人の意見を載せています。一昨日は中島京子さんの寄稿、昨日は大林宣彦さんのインタビューです。

中島さんは「小さいおうち」で直木賞を受賞した作家。作品は映画化され、海外の映画賞で助演女優賞を受賞したのでご存じの方も多いと友います。その中島さんは、1923年に起きた関東大震災と朝鮮人虐殺、その2年後の治安維持法成立と、2011人の東日本大震災と原発事故、その2年後の特定秘密保護法成立とを重ね合わせます。そして「いまは、昭和史で言うと、どのへんにいるのかと、つい考えてしまう」と書いています。その上で、「小さいおうち」を書こうと思った理由を、「一般の人々にとって、あの時代はどういう時代だったのか、なぜ戦争に向かったのか、知りたいと思ったのだ」と書くのです。

 当時の記録に触れると、文化的には円熟期であり、都会の市民層には教養もあり、分別もあり、平和主義的な傾向すらあったように思われる。しかし、歴史の教科書が教えるように、軍国主義が力を持ち、他国を侵略し、おびただしい犠牲者を出した時代だ。私はその、明るくて文化的な時代と、暗くて恐ろしい残酷な時代がどう共存していたのか、あるいはどこで反転したのか、知りたいと思った。

 そこには、恋愛も、親子の情も、友情も美しい風景も音楽も美術も文学も、すべてのものがあった。いまを生きる私たちによく似た人たちが、毎日を丁寧に生きる暮らしがあった。

 けれども一方で、そこからは、人々の無知と無関心、批判力のなさ、一方的な宣伝に簡単に騙されてしまう主体性のなさも、浮かび上がってきた。

 中島さんは当時の文献を調べ、上記のようなことに気付きます。そして、「怖いのは、市井の人々が、毒にちょっとずつ慣らされるように、思想統制や言論弾圧にも慣れていってしまったことだ」と書きます。まさしく、現代の状況は「戦前」を踏襲しているように思えます。しかし、中島さんは最後に次のように書きます。

 「小さいおうち」の時代の人々は、いまを生きる私たちとよく似ている。でも、戦前の日本は、民主主義国家ではなかった。日本国憲法を得る以前は、一般市民は主権者ではなかった。だいじなのは、関心を持つ状態をこそ「日常」化させることではないだろうか。

と、無関心や無力感を戒めています。そう、特定秘密保護法は成立し、集団的自衛権の行使容認も閣議決定されました。でも、これからです。私たちはまだ負けていない。だから、少なくとも関心だけは持ち続け、政府の宣伝に騙されないようにしたいものです。

ところで、「副委員長のお薦め本」で副委員長が白井聡さんの『永続敗戦論』を紹介しておられます。私がお薦め本だと言いながら内容を紹介できなかった本です。副委員長に感謝です。みなさん、ぜひ読んでください。

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