こんにちは、TKDです。
今日は執行委員会の日。でもその前に、10月の県教委交渉の日程を4役で決めました。既に10月2日に入っていましたが、さらに16日、24日、31日と交渉が入りました。この間に専門部の交渉も入ります。毎年のことですが、10月から11月にかけては厳しい日程です。11月3日には合同教研集会がありますし。でも、まずは9月25日の評議員会の準備を進めなくてはいけないし、9月29日の県教委交渉の準備も進めなくてはいけません。あっ、その前に情報の原稿を書かないと。
さて、そんな忙しくなる秋の前に、8月31日(日)、利賀村へ行ってきました。第1回利賀アジア芸術祭&SCOT Summer Season 2014が開かれていたのです。私のお目当てはSCOTの演劇ではなく(SCOTの皆さん、ごめんなさい! 今度は演劇を見に行きます)、シンポジウム「私たちは、どこに向かうのか?!」。シンポジストは水野和夫さん(経済学)、大沢真幸さん(比較社会学)、白井聡さん(政治学)の3人。お気に入りの白井さんはじめ、すばらしい3人がそろったので、ぜひ聴きに行きたいと思ったのです。もちろん、3人とも安倍政権には批判的。というより、徹底的に否定しています。
白井さんは相変わらず切れ味鋭いし(でも、下ネタの比喩はやめよう)、水野さんはアベノミクスが失敗に終わっていることを冷静に語ってくださいましたが、今回印象に残っているのは大澤さんです。大澤さんは、カントの「理性の私的使用と公共的使用」という言葉を紹介します。私的使用とは、単に自分個人のために使うということだけではなく、自分が属する集団のために使うことも含みます。だから、自分の国のために理性を使うことも私的利用なのです。公共的使用とはそういったしがらみから自由になった場合の理性の使い方なのだそうです。そして、安倍首相は「そこからもっとも遠いところにある」と言います。まあ、理性そのものから遠いのですが。
また、安倍とその取り巻きは日本の「敗戦」を否認しますが、アジアとアメリカに対してダブルスタンダードだと指摘します。アジアに対しては「負けていない」というストレートな否認。米国に対しては、「アメリカは私たちを助けてくれたんだ、救世主なんだ」というねじれた否認。このことによって、日本人は精神の基本的な部分をアメリカにゆだねており、本質的なことを考えられなくなっていると言います。
そして、95年以降「不可能制の時代」に入ったが、これはユートピアの存在が不可能になっているだけでなく、現実そのものが不可能になっている時代だということです。難しいですね。大澤さんの『不可能制の時代』(岩波書店)を読んでみないといけません。ただ、大澤さんは、逆説的に、考えに考えた上で不可能なことを要求する中で可能性が見えてくる、とも言ってくれました。
刺激的な2時間でしたが、利賀山房の堅い木の座席に座っていたので、お尻の痛さに閉口しました。来年は座布団を用意しなければ。
ちなみに、このシンポに限らず、SCOTの催しは一切入場料などはとられません。最初は戸惑いましたが、パンフレットの最後にある鈴木忠志さんの文章を読んで理解しました。利賀フェスティバルに来る若い人の中には、ずいぶん遠いところから来てくれる人がいたそうです。鈴木さんが例に出しているのは、長崎の五島列島から来た女性。せっかく遠くから来たのだから、たくさんの劇を見ていってほしいと思うが、旅費で既に多額出費をしている若者は観劇料まではなかなか残らないだろうということでした。そこで鈴木さんは去年、決断します。
利賀村での舞台公演のみならず、ここでのすべての活動を、興味を感じてくれた人たちには、自由に接することができるように公開することにした。この利賀村まで到着するための費用を、負担するような財力は劇団にはない。だから、せめてこの利賀村に滞在し、我々の活動に触れたい、それが必要だとする人たちに対しては、対価を求めないことにしたのである。
なんという思い切った決断でしょうか。これは支えなくてはいけません。受付には「お志」と書いてある箱があります。そこに3000円しか入れられない私をお許しください。でも、来年も訪れて、もう少し思い切った気持ちを出したいと思います。
ちなみに、利賀の帰りに山田村の清水(しょうず)にある「そば峠」という蕎麦屋に行ってみましたが、13時30分過ぎに着いたら、客がいっぱい店の前で待っています。とっても不便なところにあるのに、こんなに人気がある店だとは知りませんでした。あきらめて、家の近くのコンビニで納豆巻きを買って帰りました。今度、余裕のあるときに訪れてみようと思います。