書記長日記

切磋琢磨

こんにちは、TKDです。

昨日、「県立学校整備のあり方に関する検討委員会」の第1回会合が行われました。新聞各紙も報じていますので、ご存じですよね。現在1万人の中学卒業者数が、2018年度には9685人にまで減少するとか、22年には9千人を割り込むとか、はてには28年には7千人台となるとか、各紙が生徒の減少を強調しています。前期再編の検証委員会が4回の会合で報告をまとめ、いよいよ後期の再編に向けて検討が始まったという感じですが、この検討会では再編以外にも話し合う可能性がありますし、逆に具体的な校名をあげて再編を検討する場でもないようです。再編に向けての方針を決め、具体的な検討は別な会議で行うのかもしれません。

副委員長が傍聴されて、メモをまとめられましたが、読んでみて感じたのは、多くの委員が「切磋琢磨」という言葉を使い、「切磋琢磨のためにはある程度の学校規模や生徒数が必要だ」と述べていることです。委員長の富大教授がまとめで「キーワードだと思う」と言っていますが、まあ確かにそうですね。「何とかの一つ覚え」かと思いました。失礼。詳しくは号外等で報じますのでお楽しみに。

さて、切磋琢磨が必要なのか、というそもそも論は置いといて、私が疑問に思うのは、切磋琢磨には大きな集団が必要、または人数が必要ということです。疑いもなく多くの委員が言っているのですが、どうして少人数だと切磋琢磨ができないのでしょうか。むしろ大きな集団だと、個が埋没してしまうことはよく目にすることです。少人数だとそれぞれにしっかり役割が与えられ、活躍と成長の機会が十分にあることも実感された方がいるのではないでしょうか。もちろん大きな集団であれば、多様な人格が存在し、その中で考えを広げたり深めたりすることもできるかもしれません。私が言いたいことは、大集団と小集団のどちらが学びに適しているかは一概に言えないということです。その集団に応じた教育方法を工夫すればよいのではないでしょうか。

ただ、教職員の負担という面で考えると、小規模校の負担は大きいと思います。ですから、ある程度の規模があった方がいいとも思います。一方で、地域の拠点として学校の存在は重要です。いろいろな視点から検討を深めてほしいのですが、どうも1回目の会合の発言を見る限り、極めて画一的な視点からしか論じられていないような印象を持ちます。各委員の教育観や人間観の深さが問われます。

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