書記長日記

スーザン・ソンダクの言葉

こんにちは、TKDです。

今日は評議員会があったのですが、欠席分会が多数出ることになりました。12分会が欠席だったのですが、そのうち8分会が高岡地区。文化祭を控えている学校、前期の終業式があった定時制高校など、学校行事と重なってしまったようです。来年度からは、年度初めに学校行事予定表を集めて、会議日程を決めた方がよさそうです。反省事項です。

さて、今日は朝日の論壇時評が載る日(最終木曜日)。高橋源一郎朝日の誤報問題をテーマにしました。1ヶ月前の同欄でもこの問題をテーマにしていたので、もう扱わないかと思っていたのですが、この間の異常な騒がれ方に改めてテーマに選んだようです。今回、高橋さんは朝日を非難する言説の中に「反日」や「売国」といった言葉が頻出することを問題にします。

 そんな言葉が使われること自体は珍しくない。「前の戦争」のときにおれたちのこの国で、1950年代のアメリカで、旧ソ連時代のロシアで、そして、ナチス支配下のドイツで、「愛国」の名の下に、それに反すると認定された者は、「売国奴」(ときに、「共産主義者」や「人民の敵」ということばも使われた)と呼ばれ、、容赦なく叩きのめされ、社会的に(あるいは身体的に)抹殺された。

これに対して高橋さんは9.11の2日後に雑誌に掲載された故スーザン・ソンダクさんの意見を引用します。

 まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない。テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、その言葉は彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。欺瞞や妄言はなにも解決しない。現実を隠蔽する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ、と。

高橋さんは、ソンダクさんのような人間こそ、最高の愛国者ではないかと言います。そして、朝日新聞に以下のソンダクさんの言葉を贈るのです。

 自分が大切にしている諸権利やさまざまな勝ちの相克に、私は取り憑かれている。たとえば、ときとして、真実を語っても正義の増大にはつながらないということ。ときとして、正義の増大が真実の相当部分を押さえ込むことに結果になるかもしれない、ということ。(略)

 私自身の見解は、もし真実と正義のどちらかを選ばざるをえないとしたら―もちろん、片方だけを選ぶのは本意ではないが―真実を選ぶ

話は変わりますが、28日(日)に、以前に書き込んだ「みんなの学校」というドキュメンタリー番組が、NHKーBSの「ザ・ベストテレビ2014」という番組の中で放映されます。昼の12時からです。楽しみです。時間があったら是非見てください。ただ、私は旅行に出ているため、録画しておくつもりです。

では、そろそろ読書に行きます。伊坂幸太郎の新作『アイネクライネナハトムジーク』を買ってきたので。

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