書記長日記

声を上げ続ける

こんにちは、TKDです。

今日のソフトバンクVS日本ハムはいい試合でしたね。 特定秘密保護法についての講演会が午後にあったのですが、始まる前にスマホで試合経過を見るとソフトバンクが4-0で勝っていました。そうか、決まったなと思って、講演会後に確認すると4-4に追いついているではないですか。チャリをとばして帰宅し、テレビをつけると11回の表で日ハムの攻撃、ノーアウト1塁。バント失敗で1アウトになったものの、内野安打2つで満塁に。1番の西川が三振して万事休すかと思ったら、2番の中島がタイムリーヒットを打って6-4に。その裏、ソフトバンクの4番李の、外野の間を抜けるかという当たりを、前の回に三振した西川がダイビングキャッチ。試合はそのまま終わり、3勝3敗の5分になりました。決着は明日。楽しみです。

さて、今日の講演会は弁護士の海渡雄一さんが特定秘密保護法について話をされました。残念だったのは、パワポを使って話をされたのに、前に座った人の頭でスクリーンが半分隠れてしまったこと。私の後にいた人も(私の頭で)同様だったと思います。天井の低い会場だったので、こういう場合は紙ベースの資料を見ながらの方が理解が進みます。

印象に残ったのは、特定秘密保護法の最高刑が10年になっているが、「改正」され死刑にまでなる可能性があること。なぜなら、1925年に成立した悪名高き治安維持法も最高刑が10年だったのが、3年後に「改正」され最高刑が死刑になったという歴史的事実です。以前の書き込みで、関東大震災の2年後に治安維持法が成立したことが今の状況に似ていると書きました(8月10日)が、この流れで行くと、特定秘密保護法も最高刑が死刑になるかもしれません。また、特定秘密保護法の所管は警察庁の公安部。公務員が特定秘密を漏らさないか、公安がうろうろするかと思うと不気味です。これまた、戦前の特高警察をイメージさせます。こんな法律がまかり通る世の中は、ろくな世の中ではありません。

 海渡さんは講演の最後で、この法律は私たちを萎縮させようとするものだから、私たちが逆に声を上げ続けることが大事だと話をされました。

民主主義

それを聴いて、昨日読んだ想田和弘さん(映像作家)の『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)を思い浮かべました。。この本は3つの章に分かれ、第1章は橋下市長による大阪市政、第2章は自民党の憲法改正草案を題材に民主主義について考えます。そして、第3章では、衆議院選での自民党の圧勝を受けて、筆者は「熱狂なきファシズム」という言葉を想起します。どういうことか。

 その特徴を要約するならば、「真に重要な問題が議論の俎上に載せられぬまま選挙が行われ、大量の主権者が棄権するなか、なんとなく結果が決まってしまう」というものです。言い換えれば、選挙が「私たちの社会はどういう方向に進むべきか、重要な課題を掲げ、意見を摺り合わせ、決定するための機会」として全く機能していない。それでも勝負の結果だけは出るのです。

 そして結果が出た以上、選挙戦でスルーされた重要課題も、あたかも議論され決着がついた事項であるかのように、勝者によって粛々と実行されていきます。よって、誰も気づかないうちに、すべてが為政者の望む通りに何となく決まっていく。

そして、この「熱狂なきファシズム」の背後にあるのは、主権者であるはずの国民が「消費者」という意識を持っているからではないか、と想田さんは考えるのです。消費者だから、不完全な商品=政治は買わない=投票しない、買いたい商品=候補者がないから投票しないのは当然、という意識。これを読んで、私はすぐに今の学校と生徒・保護者を思い浮かべました。生徒は学校の重要な構成員で、学校が良いものになるように教職員と(時には対立しながら)力を合わせなくてはいけません。保護者もまた同様です。でも、学校と教職員はサービスするもの、自分たちはサービスを受ける消費者という意識だと、よりよいサービスを要求する、サービスが悪ければ文句を言う、というふうになります。近年の教職員の多忙も消費者を満足させようとしているから、というのも一員ではないでしょうか。さて、想田さんは次のように書きます。

 では、この圧倒的な消費者民主主義的な風潮に抗い、熱狂なきファシズムに抵抗するためには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

 極めて直接的な対処法といえば、麻生氏が嫌うことを精一杯行うことでしょう。つまり、黙っていないで「わーわー騒ぐ」のです。

今日の講演を聴いてこの部分を思い出したのです。そう、声を上げ続けることが重要です。

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