書記長日記

もうすぐ文化の日

こんにちは、TKDです。

久しぶりの書き込みになります。しんどい1週間が終わりました。昨日の午後は賃金小委員会で県教委側と2時間の話し合い。その後、県教委との交渉1時間余り。さらに、高教組の組織財政検討委員会で1時間半の3連発でした。ぐったり疲れました。でも、前日の合同慰霊祭の方が疲れたかも。何しろ、儀式と権威が大嫌いなもの。明後日は合同教研集会ですし、更にその後の賃金確定までもうしばらくしんどい日々が続きます。もっとも、現場の方々は推薦入試の出願やら、学園祭やら、周年行事やらでお忙しいはず。泣き言は言ってられませんね。

通販生活さて、5月19日の書き込みで『通販生活』という雑誌?を紹介しましたが、先日、秋冬号が届きました。5月19日の書き込みでも触れた「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に賛成ですか?反対ですか?」という「通販生活の国民投票」の結果が発表されています。5420人もの読者が投票しています。「そもそも集団的自衛権の行使は必要ですか?」という質問には、「不要」が85.6%、「必要」が10.5%。「集団的自衛権の是非を決める手続きは?」という質問には、「憲法改正が必要」が88.8%、「解釈変更でよい」が6.8%でした。

 

 

空語その『通販生活』のなんと表紙で「目からウロコ本第1位はこれだ」と紹介されているのが、内田樹さんの『憲法の「空語」を満たすために』(かもがわ出版)。さっそく買って読んでみましたが、刺激的な1冊です。今年の憲法記念日に兵庫県憲法会議主催の集会で行われた講演をまとめたもので、税抜き900円のブックレット。価格的にも、頁数的にも手頃ですが、内容は簡単には消化できません。

内田さんは、今の日本が「法治から人治に」移っていると言います。つまり法治主義が崩れ、首相による独裁に移行しているというのです。そして、この流れを作り出しているのが「国民国家の株式会社化」だというのです。株式会社は「人治」モデルで組織されているからです。内田さんは、国家と株式会社の違いについて、株式会社は「有限責任」なのに対して、国民国家は「無限責任」ということから説明します(詳しくは本を読んでください)。その上で次のように語ります。

 だから、国民国家と株式会社は同一に論じることはできないという「当たり前のこと」を僕は繰り返し主張しているのです。ところが、驚くべきことに、日本人の多くはそれが理解できないらしい。どうして、国民国家や地方自治体や学校は「株式会社みたい」に経理されていないのか、おかしいじゃないかと言う。

(中略)

 でも、教育活動のアウトカムは点数や数値では計れません。当たり前のことです。学校教育というのは共同体を支える次世代市民の成熟を支援することです。でも、学校を出たあと、子どもたちが市民的成熟を果したかどうかの判定は二〇年、三〇年経たないとわからない。(中略)「まあ、こういうやり方をしていれば、市民的成熟を支援するという目標を大きくはずれることはない」という経験値の結果が今の学校のかたちなのです。志願者がどれくらい来たのか、偏差値がいくつか、就職率がどうなのかというようなことは、はっきり言って「どうでもいいこと」なのです。

 しかし、現代日本人はもうそういうふうには考えていない。彼らのほとんどは株式会社以外の組織で働いた経験がない。だから、組織というのは、「株式会社みたいなもの」であるのが当然だと思っている。

このことについては、以前の書き込みで、校内人事を職員の投票や話し合いで決めていることを橋本市長や下村文科省が批判したことをとりあげ、「この国は一応、民主主義国家じゃなかったの」と指摘しました。でも、株式会社に民主主義は(ほとんど)ないのだから、そのメンタリティに従えば批判するのは当然なのですね。

このあと、内田さんはグローバリズムとナショナリズムが相反するものにもかかわらず、安倍首相をはじめ両方を進めようとする人たちがいることについて、理由を説明します。この講演の白眉とも言える部分です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。明後日11月3日は合同教研の日であるとともに、日本国憲法公布を記念した文化の日。このブックレットを読むにはタイムリーかも。

 

 

 

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