書記長日記

狂った世の中に抗していきましょう

こんにちは、TKDです。

前回の書き込みから1週間が経ってしまいました。書きたいことはいっぱいあったのですが、例えば朝日新聞の第三者委員会の答申を受けての記者会見とか、この間読んだ本や雑誌で紹介したいものとか。でも、ちょっと精神的に余裕がなかったです。いや、忙しかったわけではありません。23日の憲法座談会とセンセの寺子屋がプレッシャーだったのですが、それが終わった後は翌日に憲法座談会の原稿をまとめることができたし(Sさん、ありがとう!)。ただ、年賀状が…プリンターの不調もあって50枚も失敗したショックで落ち込んでいました。あと、春闘情勢を書かなくてはいけないこともあって、書きたいことを書かないまま1週間が経ってしまいました。

今さらすべてを書くことはできないので、1つだけ。先週の朝日新聞の論壇時評を紹介します。高橋源一郎さんは、明治学院大学で教えてもいるのですが、衆議院選の投票日の数日前の授業の終わりに、別のクラスの学生が、訴えたいことがあるので時間を欲しいと言いにきて、3分を与えたことから話を書き出します。

その学生は、その3分間を使って、投票に行こう、という話をした。なにかの受け売りではなく、自力で、深く考えた跡のあるスピーチだった。終わると、小さな拍手が起こった。短いけれど、大切な時間だった、と思えた。どちらの学生にとっても。

高橋さんは、投票率が52%と約半数が棄権したことについて、「その声にならない呻きを、聞きとる政治家はいるのだろうか」と投げかけます。そして、オンライン・メディア「ポリタス」に寄せられたいくつかの意見を紹介します。私の贔屓の森達也さんは「もう投票には行かなくていい。落ちるなら徹底して落ちた方がいい。敗戦にしても原発事故にしても、この国は絶望が足りない。何度も同じことをくりかえしている。だからもっと絶望するために、史上最低の投票率で(それは要するに現状肯定の意思なのだから)、一党独裁を完成させてほしい」と言い切ります。マンガ家のしりあがり寿さんは「『民主主義を諦めてないぞ』ってことだけで投票に行く。投票先は民主主義だ。クソ民主主義にバカの一票」と書きます。その中で、私が感動したのが千木良悠子さんの次の文章です。

「『民主主義』というものには形も色も味もない。キラキラしたコインの輝きもない。ただの角張った四つの漢字の連なりであるし、現行の制度に問題は山積みなのかもしれないが、それは過去に同じ地に生きた人々が、命を懸けて勝ち取ったかけがえのない遺産であるらしい。あまりに大切なものを前にしたときに人は口をつぐむ。自由とか人権とか憲法とかいう言葉を前に少し神聖な面持ちで黙っていたあの大人は、身近な人かあるいは数十年前、百年前、1千年前に死んでいった人たちのことを悼んでいたのかもしれない」

そう、民主主義は決してベストな制度ではない。油断すればファシズムを生みます。それでも、あまりにも多くの犠牲を払って私たちが手にしているベターな制度です。なんとしても守っていかなくてはなりません。

 今年、この国の社会の異常さがさまざまなところで露わになりました。年末の衆議院解散と総選挙もそうでしょう。負ける前に解散して勝ってしまえ、という道理も道議もない選挙。私たちは、こんなことを平気で行う卑劣な人間を首相として戴いています。また、夏以来の朝日新聞に対する異常なバッシング。一部のネトウヨが騒いでいる分にはまだしも、世界最大の発行部数を誇る新聞が全力を挙げて攻撃する。しかも、自らの拡販に利用しようとしている。週刊誌は「売国」「反日」という言葉を用いて攻撃する。戦時中に新聞や出版界が果たした役割を考えれば、そして「売国」「非国民」という言葉の下で多くの人が犠牲になり、真理が踏みにじられていったことに思いを致せば、絶対に使えない言葉が平然と使われています。(こういう俺は「反日」ですか? 一応、国語の教員なんですけど。)健全な良識を持っていたらできないことを、首相や新聞・出版界が行っている。この国は狂ってきています。でも、目の前にいる人たちを見ていると狂ってなんかいません。だから、一人ひとりがこの狂気に抗していきましょう。

来年こそは希望が見える年になるように。

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