書記長日記

戦後70周年の年に

TKDです。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年末の休みが早く始まり、ゆっくりとした年末年始を過ごすことできました。というより、飲み食いが続いて、怖くて体重計に乗れません。明日は、氷見の民宿で執行部の新年会です。ますます太りそうです。

この年末年始にいろいろ本を読みたかったのですが、ダラダラと過ごしてしまいました。話題のトマ・ピケティ『21世紀の資本』は分厚さとともに、経済音痴が理解できるわけが竹信ピケティ入門池田ピケティ入門ないと思い断念。代わりに竹信三恵子『ピケティ入門』(金曜日)と池田信夫『日本人のためのピケティ入門』(東洋経済新報社)を読みました。でも、肝心なところは十分に理解できません。ただ、資本主義の下では格差博大する、ということは現状を見れば頷けるし、その解決策として累進課税の強化と、国際的な資産への課税というのも現実的にどこまでが可能かはともかく、理論的には理解できます。で、一番面白かった本は昨晩から今日の午前中にかけて読んだ窪美澄『水やりはいつも深夜だけど』(角川書店)です。窪美澄水やり彼女の作品はどれも、不器用に生きる登場人物を慈しみを持って描いていますが、今回の作品は中でも登場人物たちへの優しさが増しています。本の帯に朝井リョウが次の言葉を寄せています。

小説で誰かを救う。そんな大それたことは言いづらい。だけど、それに本気で挑戦している作家は確かにいるのだと、窪美澄を読むといつもそう思う。

窪美澄が本当に「誰かを救う」ことに挑戦しているとは、私は思っていません。でも、不器用で、失敗だらけで、結果として周りの人を傷つけ、自分も傷ついて…そんな人間を包み込むように描くことで、読んだ人間が救われる、ということは間違いなくあると思います。

さて、昨年の秋くらいから北日本新聞の社説を評価してきました。特に、戦後70周年をテーマにした一連の社説は高く評価してきたところです。今年の元日の朝刊では、「とやま戦後70年」と題して、100歳の方5人の戦争体験を聞き出して2面を使ってまとめています。そして、その横には「記者の思い」として社会部の記者6人のこの企画に対する想いも載っています。44歳の社会部長から26歳の記者まで年代の違う6人の想いはそれぞれですが、特に印象深いのは片桐部長の言葉です。

(前略)

 それこそ新人の頃から戦争にまつわる記事を何度も何度も書いてきた。だが、10年、20年前とは時代が違う。防衛庁は防衛省に格上げされ、日中や日韓の外交も順風ではない。いまだからこそ身に染みる教訓が見いだせるはずだ。

(中略)

 元共同通信記者で芥川賞作家の辺見庸氏は昨年9月、「遺書」と題したいまを憂う文章に記した。「ヒロシマ、ナガサキを、いまいちど切実に、切実におもうこと。ことばはそこから練りなおさなければならなかったのだ」

 自分に置き換えてみる。富山大空襲やそこに至る道をリアルに再現し、考え、新たな言葉を紡ぎ出していかねばならない。

 今日の朝日には、元ひめゆり学徒隊の語り部、宮城喜久子さんが亡くなったことが報じられていました。数年前に岩瀬で宮城さんのお話を聴いたことが思い出されます。戦争の実相を知る方がどんどん亡くなっています。戦争を知らない人間が、勇ましい言葉を吐いて、日本を戦争に向かわせています。確かに、北日本新聞の戦争体験を聴く企画は重要です。

 

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