こんにちは、TKDです。
久しぶりの書き込みになりました。伊坂の新作『火星に住むつもりかい』(光文社)を思うように読み進めることができなかったのです。「平和警察」という特高まがいの警察組織が密告を奨励し、罪なき者を拷問で「自白」させ、ギロチンで公開処刑するという近未来を想定した設定です。さすがに、「イスラム国」の処刑や川崎の中学生殺害事件の後では辛くなります。もちろん伊坂の筆は軽やかで、残酷な状況を描きながらも、登場人物の洒脱な台詞でバランスを取っているのですが。読了後、割り切れない思いが残りました。
昨日は、オーバードホールで日本ペンクラブが主催する「平和のつどい」がありました。ペンクラブの会員が2人ずつ4組、対談されたのです。テーマは順番に、旅、愛、命、平和への祈り、です。予想どおり、4組目の浅田次郎さんと落合恵子さんの対談が聴き応えがありました。というより、落合さんがずば抜けている。言葉に力がある。すばらしいアジテーターです。「原発でも、沖縄の辺野古でも、政治との戦争は続いている」「戦後70年もたったが、この国は平和や民主主義を腹の真ん中に据えることに失敗した」「デンマークの職業軍人ホルムが提案した『戦争絶滅受合法案』は、戦争が起きたら10時間以内に次の人たちが最前線に行くことを定める。国家元首、国家元首の16歳以上の男性親族、総理大臣、総理大臣の16歳以上の男性親族、国会議員ただし戦争に反対したものを除く…」「誰もが戦争に反対しているわけではない。戦争で金儲けをしている者たちがいる」(すみません、うろ覚えです)。さて、このイベントを地元3紙が報道しました。北日本新聞は社会面で大きく報じながらも、落合さんの言葉を全く報じませんでした。ただ、高志の国文学館の館長でペンクラブの副会長でもある中西進さんが話した「5年で戦争体制はできる。日本は10年で戦争に突入し、焦土と化した」という内容を取り上げているのは、少しは救われます。富山新聞も、落合さんの発言は取り上げず、浅田さんの「戦争の恐ろしさを小説で語り継ぐことが自分の使命だと思う」という言葉を紹介。後は、新幹線の話題です。北陸中日だけが落合さんの言葉を紹介しました。でも、見出しは「旅や愛テーマに討論」。これって、どうなの。さらに私と一緒に聴きに行った畏友は、ステージ横でパネリストが話したことをテロップで流していく、そのスクリーンにホルムの「戦争絶滅受法合案」と最後の戦争で金儲けする人間の話が流れなかったことに気づきました。誰が、何を基準に規制しているのでしょうか。さまざまなところで自主規制が進んでいます。いつか来た道。そのことにマスコミと教員が自覚的でなければいけないと思うのです。
さて、先週の木曜日は、朝日新聞に「論壇時評」が載る日でした。テーマは「イスラム国」の邦人殺害。後藤健二さんの本を「手に入るだけ集めて読んだ」高橋源一郎さんはやはり凄い人です。その髙橋さんが「週刊金曜日」に乗った田原牧さんの文章を紹介しています。
「彼らは決して怪物ではなく、私たちの世界がはらんでいる病巣の表出ではないか」「彼らをまったくの異物と見なす視点には、自らの社会が陥った“狂気”の歴史に対する無自覚が透けている」
「彼らがサディストならば、ましだ。しかし、そうではない。人としての共感を唾棄し、教義の断片を無慈悲に現実に貼り付ける『コピペ』。この乾いたゲーム感覚ともいえるバーチャル性が彼らの真髄だ。この感覚は宗教より、現代社会の病的な一面に根ざす」
この田原さんの言葉の後に、髙橋さんは次のように続けます。
だとするなら、わたしたちは、この「他者への共感」を一切排除する心性をよく知っているはずだ。「怪物」は遠くにではなく、わたしたちの近くに、いま日常的に存在している。
象徴的なのは、首相でしょうが、彼はあくまでもこの社会の病巣から生まれ、自己肥大した存在でしょう。閉塞感の中で他者への攻撃のみによって辛うじて「自尊心」を保っている病的な社会を、私たちはどう変えればいいのか。その答えは、(私にとっては苦手な)「笑い」にあると思います。伊坂のユーモアを見習わねば。