書記長日記

卒業式

こんにちは、TKDです。

1週間ぶりの書き込みとなりました。サボっていてすみません。福島の疲れが残っていた、というよりは花粉症の影響とその薬の影響、それと酒を飲む機会が多かったこともあって、夜遅くまで起きていられなかったのです。

1週間前の火曜は、執行委員会の後、18時30分から青年部役員会があり、終了後有志4人と飲みに行きました。ただの「お疲れさま会」のつもりが、青年部4人が私の送別会にしてくれました。ありがたいことです。嬉しくてずいぶん飲みました。3年間青年部担当でしたが、すばらしいメンバーと一緒にとりくめて、若い人たちへの信頼感を高めました。っていうより、俺よりなんぼか人間ができている人たちばかりで、感心しきりでした。翌水曜日は県教委交渉の後、早めに帰宅しましたが、結婚記念日(忘れなくてよかった)。15周年です。ビールの肴にふさわしい料理が並ぶのを見て、これで1年3ヶ月も家飲みをやめていたのに、つい2缶飲んでしまいました。木曜は、午前中、次男の小学校卒業式に出席。その分、遅くまで仕事をしていて、帰宅後寝てしまう。金曜は、次男の卒業祝いを(次男の)祖父母宅で。ビールから酒に移り、珍しく親父とよく話をしました。そのままダウン。土日もダラダラ過ごしてしまいました。つまり、すべてが言い訳です。

さて、次男の卒業式は、長男の時もそうでしたが、心のこもったいい式でした。小学校はいいですね。温かいです。2年前に富高教情報のコラムに書いたことを、あらためて書きたいと思います。小学校の卒業式で、卒業生は「門出の言葉」として、全員がリレー方式で言葉をつないでいきます。途中、在校生の言葉や互いの合唱もあります。卒業生は、全員がステージに上がり、こちらを向いて言葉をつなぎます。その前に、卒業証書をもらう時も、もらう前にこちらを向いて一言(自分の夢とか、中学入学に向けての抱負とか、周りの人への感謝とか)言います。つまり、何度も卒業生がステージに上り、こちら(フロアにいる人たちの方向)を向いて話をしたり、歌ったりするのです。卒業生が主役だから当たり前じゃないか、と言われそうですが、高校ではそうではないのです。小学校の「門出言葉」にあたるのが高校では「答辞」です。答辞がある富山県内の高校のおそらくほとんど全てで、答辞を読む卒業生代表はステージ上の校長に正対して、すなわちフロアに背中を向けて読むはずです。卒業生・在校生・保護者・来賓・教職員の誰も、答辞を読んでいる顔を見ることはできません。ようやく顔を見ることができるのは、読み終えて答辞を校長に渡しステージから降りてくる時です。富山県内の高校ではこれが当たり前になっています。でも、小学校の卒業式を見ると、高校はずいぶん変なことを行っているのではないかと思えてきます。だって、卒業式の主役は卒業生のはずですから。その代表が、卒業を祝ってくれるみんなへの答辞を読む時に、そのみんなへ背中を向けているのはどう考えても変でしょう。ここからは、私の推測です。富山県の高校は、卒業式を戦前のスタイルのまま行っているのではないでしょうか。戦前は、日の丸あるところに、「御真影」があった。卒業生代表は校長の向こうにある「御真影」に向けて答辞を読んでいたのではないでしょうか。それがそのまま21世紀になっても残っている。そうでも考えなければ、この事態は説明できないと思うのです。

では、小学校と中学校の間にある中学校ではどのような卒業式が行われているのか。来年の長男の卒業式が楽しみです。

 

▲ このページの先頭にもどる

© 2014 - 2024 富山県高等学校教職員組合