書記長日記

知る勇気を持て

こんにちは、TKDです。

クーパーまたまた書き込みをサボっていました。すみません。書き込みと同様、読書も進みませんでした。久しぶりに小説を読みたいと思って、長崎尚志(「MASTER・キートン」の共同執筆者です)『闇の伴走者』(新潮文庫)を読み始めたものの、なかなか物語の中に入れず、途中で断念。一緒に買ってきた伊坂幸太郎の『夜の国のクーパー』(創元推理文庫)を読むことにしましたが、これも結末を知っているだけにドキドキ感がなく、遅遅として進まず、といった状態でした。結局、小説を読む心の余裕がなかったのでしょう。異動人事も終わり、ようやく昨日の土曜に読み終えました。ラストは感動的でした。ぜひ読んで下さい。重要な登場人物がラスト近くで「国王が、国をまとめるためのこつ」として、ある人物が言った次の言葉を紹介します。

「『外側に、危険で恐ろしい敵を用意することだ』と、そう言っていた」

「敵を用意する?」

「そうした上で、堂々とこう言うんだと。『大丈夫だ。私が、おまえたちをその危険から守ってあげよう』とな。(後略)」

誰かを思い浮かべますようね。すぐに自分のことを「最高責任者」と呼ぶ誰かを。この重要な登場人物は壮大なトリックの種明かしの中で先ほどの言葉を紹介するのですが、その後も説明を続けたあと、「俺の言葉を鵜呑みにする必要はない」「何が正しくて、何が誤っているか、自分で判断しろ」と言います。ここに、この小説の眼目があります。

小説の早い段階でカントの「知る勇気を持て」という言葉が引用されます。これについて、解説の松浦正人さんは、カントの「啓蒙とは何か」という論文から、その言葉を前後も含めて紹介します。

啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうべきものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。

私は、今の若い教員たちを極めて優秀だと思っています。人間的にも誠実で魅力的です。しかし、「未成年の状態」にとどまっている人も多いと思います。そして、それは若手だけなのかといったら、実は多くの(教員に限らず)日本人が未成年の状態から抜け出ていないとも感じます。振り返って、自分はどうかと考えると、怪しいものです。私たちの心までも支配しようとしている、幼稚で狡猾なリーダーが国を治め、それを利用しようとしている輩が跋扈しているこの社会であればこそ、あらためて、私たちは「自分の理性を使う勇気」を持つ必要があると感じます。

さて、4月1日からは4年ぶりに学校現場に戻ります。6年間過ごした夜間単位制を離れ、昼間単位制に移ります。この4年間でずいぶん人が入れ替わり、昼間で私と一緒に働いていたのは10人ほどです。校舎も4年の内に新しい場所で改築されました。職員も校舎も、そしてもちろん生徒も入れ替わり、「今浦島」の状態ですから、不安でいっぱいです。でも、新たな出会いを楽しみたいとも思っています。その前に、今の職場での引き継ぎと後片付けが必要ですが。

 

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