書記長日記

投書の思い出

先に、新聞に投書したことを書いた。その後、「無事」掲載されており、「読んだ」という有り難い声も頂いている。

私が初めて新聞に投書したのは、45年も前の中学生の頃。朝の満員電車内でオッサンのタバコの火が我が手にあたり、極めて熱かったので、「電車内でタバコを吸わないように」という主旨で書いたら掲載された。満員電車で立ちながら一服ーいまならば、投書などのヤワなことでは済まされないだろう。誠に牧歌的な時代であった。

新聞社からもらった掲載の謝礼(200円くらいだったか)が嬉しかったので、その後、調子に乗ってまた書いた。ところが、親が、「お前は謝礼が欲しくて投書しているのだろう」と痛いところを突いてきたので、もう止めた。

再開したのは教員になって35歳を過ぎた頃から。当時の教育政策などに対して批判を書いた。また、その頃打ち込んでいた小論文指導についても、その効力を書いた。ところが、高校生からの反論が掲載された。「小論文などは、所詮、教師の気に入ることを書かされているだけだ」という主旨。う~ん、かなりいい線いっている。さらに、それへの反論が別の高校生から寄せられたりして、投書欄は一時、活況を呈した。

十数年前、教員評価の導入が明らかになった頃、「校長先生からの通信簿」というタイトルで批判を書いた。新聞社から掲載が約束されたが、掲載日直前になって「編集方針が変わり掲載できない」と連絡が入る。怒った私は、「もう、アンタの社には投稿しない。絶縁する!」と言って電話を切った。余りにも腹が立ったので、定期大会でその旨を勝手に報告した(古い方は、ひょとしてご記憶されているかも)。

その新聞社に先日、「魔が差して」、投稿してしまった。ひょっとして、また謝礼が欲しくなって投書したのかもしれない。

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