18歳選挙権が実現した。高校教育の大きな目標の一つは、高校生が主権者として自立していくための学力の育成だ。「より実践的な主権者教育が可能となる」という意味でも、これを歓迎したい。
しかし、ある時から、教員は政治について語ることを「自粛」してきた。その原因の一つが、1969年に文部省(当時)が出した「高等学校における政治的教養と政治的活動について」という名の通達である(いわゆる「69通達」)。この通達のポイントを以下に引用したい(赤字で引用したの部分が大きなポイントかと思う)。
「高等学校における政治的教養と政治的活動について
(略)
大学紛争の影響等もあって、最近、一部の高等学校生徒の間に、違法または暴力的な政治的活動に参加したり、授業妨害や学校封鎖などを行なったりする事例が発生しているのは遺憾なことである。このようなことを未然に防止するとともに問題に適切に対処するためには、平素から、教育・指導の適正を期することが必要であるが、特に高等学校教育における政治的教養を豊かにするための教育の改善充実を図るとともに他方当面する生徒の政治的活動について適切な指導や措置を行なう必要がある。
(略)
第3 政治的教養の教育に関する指導上の留意事項
(略)
2 現実の具体的な政治的事象の取り扱いについての留意事項
政治的教養の教育については、上述した教育のねらいおよび指導上の留意事項をふまえて適切な指導を行なうことが必要であるが、特定の政党やその他の政治的団体の政策・主義主張や活動等にかかわる現実の具体的な政治的事象については、特に次のような点に留意する必要がある。
(1) 現実の具体的な政治的事象は、内容が複雑であり、評価の定まつていないものも多く、現実の利害の関連等もあつて国民の中に種々の見解があるので、指導にあたつては、客観的かつ公正な指導資料に基づくとともに、教師の個人的な主義主張を避けて公正な態度で指導するよう留意すること。(以下略)
(2) 上述したように現実の具体的な政治的事象については、種々の見解があり、一つの見解が絶対的に正しく、他のものは誤りであると断定することは困難であるばかりでなく、また議会制民主主義のもとにおいては、国民のひとりひとりが種々の政策の中から自ら適当と思うものを選択するところに政治の原理があるので、学校における政治的事象の指導においては、一つの結論をだすよりも結論に至るまでの過程の理解がたいせつであることを生徒に納得させること。
なお、教師の見解そのものも種々の見解の中の一つであることをじゆうぶん認識して教師の見解が生徒に特定の影響を与えてしまうことのないよう注意すること。
(略)
(5) 教師は、国立・公立および私立のいずれの学校を問わず、それぞれ個人としての意見をもち立場をとることは自由であるが、教育基本法第六条に規定されているように全体の奉仕者であるので、いやしくも教師としては中立かつ公正な立場で生徒を指導すること(以下略)」
このように「通達」されれば、多くの教員はびびってしまうだろう。この通達は今後「改正」される予定だが、根本的な「立ち位置」は変わらないだろう。いや、放っておけば、お上による教室の管理・統制は、さらにも増して強化されそうだ。
そこで、まずは、このような脅し文句的な通達を廃止させるべきだ。そして、政治を語る空気を教室に作るべきだ。もちろん、それは「常識の範囲内」での語りである。いま高校生に必要なものは、黴びた知識ではなく、いきいきとした知識だ。生きた学力を育むことこそが、いま、必要だ。そうでなくては、18歳選挙権実現が、逆に、学校現場での主権者教育を萎縮させてしまう。
18歳選挙権実現は、高校現場での大きな「出来事」だ。この問題は、今後も考え続けてゆきたいと思っている。