明日・金曜日から、執行委員の夏季学習会が始まる。この学習会で、私は『日高教の提言』(2012年、以下「提言」)の一部を使って執行委員の方々に対して85分一本勝負の
「授業」を行う。実に久々の「授業」ではある。
「授業」を行うからには準備が必要だ。そこで、昨日から「提言」を読んで,久々に 勉強を行っている。そして、基本的な事項を整理した「授業」の流れを示すプリントを作成した。やはり、勉強はするものだ、基本的で重要な事項を再び考える事が出来る。
例えば、「教育の目的」。それは、「個人の栄達や利益」などではなく、「社会を担う主権者を育むこと」と「提言」は述べている。18歳選挙権が実現したいま、この意味でも、高校教育の重要性は高まっている。
また、「学びの楽しさからの疎外」として「提言」は、「進学実績を上げることに至上の目標をおく学校づくりが流行っている」と皮肉を述べた後に、「学びが、個人の自己実現と栄達の追求となり、他者との協同の関係性が希薄な孤独な学びになっている」と指摘する。
この勉強で、私は、「人はなぜ学ぶのか」という根本的な問題を改めて考えた。また、「学びとは、本来、どのようなものなのか」という問題も考えた。その答えを本欄で一口で述べるのは余りにも軽薄なので、別の機会に譲りたい。だが、このような根本問題に対して、学校現場には、それを考える余裕すらないように見える。この国の教育行政の特徴である「即効性狙い」と「大局観のなさ」が、いつのまにか、学校現場にも蔓延しているように感じられる。それではいけない。
「なぜ学ぶのか」を学ぶためには、勉強が必要だ。その勉強は、自己の栄誉栄達のためではなく、他者からの強制義務でもなく、「己が学びたいから学ぶのだ」としか言いようのない学びである。このような「自分自身での学びのテーマ」を幾つか見つけることが、教員としての力量を高めるのではなかろうかと思う。そういう意味でも、来る執行委員学習会での「授業」を意義あるモノにしたいと思う。