書記局が入る教育会館のエレベーターには、「今日の雑学」という奇妙なお知らせコーナーが付いている。今日、それをフト見たら、「勤労感謝の日とは、『働く人』に感謝する日ではなく、『働くことができること』に感謝する日です」とあった。「ほお~」っと思った。これは、新たな気づきだ。
先般、キビシイ交渉が終わり、「地域手当改善」という大きな課題が残った。そのためには「皆が、大きく声をあげなくては」とばかり思っていた。
モチロン、「大きく声をあげる人たち」は必要だ。しかし、「声はあげなくとも、静かに同感する人たち」「これは間違っているーと思い続ける人たち」の重要さも忘れてはなるまい。思えば、先の交渉で、長時間ずっと座り続け最後まで交渉に参加した人たちがいた。たとえ声を発しなくとも、このような人たちが組合運動を支え続けていることは間違いない。これもまた、新たな気づきだ。
先の高岡支部教研で、講師の伊藤教授は、「たとえば『9条の会』の会合の片隅で静かに拍手する人たちの『拍手』や、『戦争法反対』のデモの最後尾で小さく声をあげる人たちの『声』を忘れてはならないのです」という主旨の発言をされた。誠にその通りなのだ。
この「新たな気づき」を、私は決して忘れまい。