書記長日記

教えるとは 希望を語ること

この週末の土日は全労連東海・北陸ブロック総会に参加した。開会後の講演で全労連副議長の岩橋氏のお話があったのだが、氏は資料で私の好きなフランスの詩人、ルイ・アラゴンの詩の一節を引用された。

教えるとは 希望を語ること 学ぶとは 誠実を胸に刻むこと」(「ストラスブール大学の歌」『フランスの起床ラッパ』1945年所収)

この詩は、アラゴンが、ストラスブール大学の教授と学生が1943年にナチスの弾圧によって銃殺・逮捕された事に対して抗議の意を込めて書いたものである。大変長い詩であるが、特にこの一節は有名だ。

私がこの詩を知ったのは十数年前。縁あって、前・富山国際大学教授の伊ケ崎暁生先生に御著『学問の自由と大学の自治』(2001年、三省堂)の扉にサインをして頂いたとき、先生はこの言葉を記された。サインを頂いたのは、東京・世田谷の先生のご自宅近くのイタリア料理店。ほぼ初見の私に対して、情熱あふれる口調で教育論をお話し下さり、ワインもどんどん勧めて下さった。その伊ケ崎先生は、それからすぐに病気で急逝された。本当に残念至極である。もっともっと先生のお話を聴きたかった。

先生がサインをして下さった著書は、その後、私の「宝物」となった。「教えるとは 希望を語ること」ー当たり前のようなことだが、いまこの時代には極めて稀となった。「政治的中立性」とやらの、ヌエの様な得体の知れぬ言葉で教員が縛られるいま、生徒たちに胸を張って希望を語っている教員は少ない。しかし、それでよい訳がない。

現代とは、誠に絶望的な時代である。しかし、そうだからこそ、教員は常に希望を持ち続け、それを語り続けねばならないだろう。

私はいま、近代公教育や教員文化、長時間労働について研究を始めている。まずは書籍で学んでいるのだが、実に楽しい。この学びを自らの知識とするだけではなく、現在の学校での異常な長時間過密過重労働を解消するために役立てたいと思っている。それこそが「私の希望を語ること」に繋がると信じて、前に進んで行きたい。

 

 

 

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