2・11の「建国記念の日」に、恒例の「『紀元節』復活反対県民集会」に参加した。この日は、私にとって「天皇制」と「戦争責任」を考える日となっている。
私は「天皇制」には反対である。退位云々の問題を超えて、民主主義の根幹にかかわる問題だと考えている。しかし、これに関しては別の機会に話す。
もう一つの「戦争責任」は、大きな問題だ。かつて高市早苗は国会で「私たち若い者には戦争責任なんて関係ない」という趣旨の発言を行った。これは間違っている。
私たちが、この国の優れた文化や伝統を誇り、享受するからには、この国の暗黒面の責任も負う必要がある。あのアジア・太平洋戦争で、いまもなお日本の責任を問う国々がある。この国を構成する私たちは、「過去のことだから私たちには関係ない」と言うことは出来ない。他者からの「問いかけ」に対して真摯に「応答する」ことーこれが責任を負うことである。私たちの祖先が犯した罪を償うことーこれが一つの国を連綿と構成する国民の務めである。自国の「偉大さ」や「強さ」をのみ追い求め誇るような浅薄な態度で責任を負うことなどは出来ない。「日本は真摯に謝罪していないではないか」と問いかける他者の発言に対して、真摯に対応することこそが政府に求められる。また、民主主義国家に生きる私たちは、政府に対して自らの声をあげることが、その責任の取り方の第一歩であろう。
かつて、旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は未来にも盲目である」と喝破した。真に他国との和解と共存を望むのであれば、まずは、自国の歴史を正面から見据え、正すべき点を正さねばならぬ。未来とは、正に、過去と直結する時間なのだ。こんな事を改めて考えた「建国記念の日」であった。