書記長日記

スクールカースト

kirisimaこんにちは、TKDです。

前回の書き込みで、次回で詳しくと書いたスクールカーストについて。

春闘情勢について話し合っているときに、話題になった「スクールカースト」。一昨年末に発行された『教室内(スクール)カースト』(鈴木翔 光文社新書)という本によって、言葉と実態が注目されました(すみません、私は未読です)。昨年はテレビドラマでも取り上げられました。

この問題を春闘方針案の情勢の中に書いたところ、「スクールカーストって何?」という人。「昔からグループに分かれていたし、その中で力関係はあった」という人。「いや、今はそれが支配・被支配の関係になって階層化している」という説明。「僕が高校生の時にはもう、そうでした(おじさんたちは今頃何を言っているんだ)」という若手。今の学校は、生徒たちの関係は、どうなんでしょうか? 3年近くも現場を離れるとイマイチ見えてきません。

でも、直木賞作家・朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)には、リアルに描かれています。バレー部のキャプテン・桐島が部活をやめたことによって、さまざまな生徒が影響を受ける様子を、語り手(視点人物)をかえて描いている連作集です。その中の1編、「前田涼也」の主人公(当然、前田くん)のモノローグ。

 高校って、生徒がランク付けされる。なぜか、それは全員の意見が一致する。英語とか国語ではわけわかんない答えを連発するヤツでも、ランク付けだけは間違わない。大きく分けると目立つ人と目立たない人。運動部と文化部。

 上か下か。

 目立つ人は目立つ人と仲良くなり、目立たない人は目立たない人と仲良くなる。目立つ人は同じ制服でもかっこよく着られるし、髪の毛だって凝っていいし、染めていいし、大きな声で話していいし笑っていいし、行事でも騒いでいい。目立たない人は全部だめだ。

 この判断だけは誰も間違わない。どれだけテストで間違いを連発するような馬鹿でも、この選択は誤らない。

 なんでだろうなんでだろう、なんて言いながら、僕は全部自分で決めて、自分で勝手に立場をわきまえている。

こんな実態が教室にありますか?

ちなみに、この小説は、決して救われない終わり方はしていません。一読を。

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