こんにちは、TKDです。
昨日オルグに行った職場では、先月から校長の指示でIDカードを身につけるようになったそうです。「他の学校でもそうですか?」と聞かれました。今日の執行委員会で確かめたところ、どの学校でもそういうことはしていませんでした。実際、いろんな高校を訪ねますが、みんながIDカードを身につけている職場ってあったかな? 商業高校はどうだっただろう? っていう感じです。もちろんIDカードを身につけることは悪いことではありません。大事なことは、その必要性を皆が納得して行うことです。納得がいかないことを校長の命令でさせられるのでは、たまりません。
さて、今日の新聞で、作家でNHKの経営委員・百田尚樹が、都知事選で田母神俊雄候補の応援演説を行っているという記事がありました。エキセントリックな国粋主義者を応援する見識は問われるとしても、まあ、経営委員とはいっても公務員ではないのだから、個人の立場で応援するのは認めましょう。ただ、その中で「南京大虐殺はなかった」と言っているのは問題です。百田は、米軍の東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」と非難し、東京裁判で南京大虐殺が扱われたのは、米軍が自らの罪を相殺するため、という趣旨を話したと新聞は報じています。
東京のみならず富山空襲も含め、「戦略爆撃」という名の無差別爆撃が虐殺であることは、私も肯定します。戦争犯罪として糾弾されるべきだと思います。同時に、日本軍が中国で行った重慶爆撃などの戦略爆撃も糾弾されるべきです。また同時に、南京を始め中国各地で行った非戦闘員への虐殺も当然糾弾されるべきです。それを「なかった」というのは、あまりに身勝手な言いぐさです。むしろ、自分たちの国が行った行為を真摯に見つめてこそ、他国の非を責めることも出来るのだと思います。
南京での虐殺には、その被害者数において諸説あります。しかし、そこで老人・女性・子どもといった非戦闘員を含む人々に対する虐殺があったことは、両国民の数々の証言が残されており、論を待ちません。
自国の負の歴史を明らかにするのを「自虐史観」と呼ぶ人たちがいます。不思議なことです。1個の人格として考えた場合、自分の行った間違いを見つめ反省し行いを正そうとする人を、「自虐的な人」と呼ぶでしょうか? 同様に、自分の住む国や社会を大事に思えばこそ、少しでもいい方向に変えていくために、過去から学ぼうとするのではないでしょうか?
百田尚樹は安倍首相の応援団を自負しています。どっちもどっちですね。