書記長日記

「ハンナ・アーレント」は必見です

1392093030636 こんにちは、TKDです。

今日は、午前中に2.11県民集会があり(わざわざ「県民」と付けなくてもいいと思うのですが)、東京新聞論説委員・編集委員の半田滋さんの講演を聴きました。メチャクチャおもしろかったです。また、報告します。

書記局で少し仕事をした後、フォルツァに行き、楽しみにしていた映画「ハンナ・アーレント」を観ました。いろいろなところで、この映画と、その中で語られる「凡庸な悪」について引用されていたからです。たとえば、朝日新聞の11月の「論壇時評」で、高橋源一郎はJournalism11月号でのヘイトスピーチを考える座談会を次のように取り上げています。

座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の「朝鮮人は死ね」といったヘイトスピーチの主張に、かつてハンナ・アーレントがユダヤ人虐殺の中心人物であったアイヒマンについて語った「凡庸な悪」を見いだす。そして、深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、底なしに広がってゆく可能性があると指摘している。彼らは特殊なのではない。わたしたち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。

また、同じ「論壇時評」で濱野智史は同じ座談会と「凡庸な悪」という言葉を取り上げた後、「凡庸な悪」があふれているこの社会の中での対処法として、以下のような方法を紹介しています。

例えば筆者(※濱野のこと)の場合、いま毎日のようにアイドル現場に足を運び、推しメンたちとのコミュニケーションを交わすことで、日々の炎上やハラスメントですさんだ心を癒やすことができている。人は「たかがアイドル」とばかにするだろうが、別にアイドルでなくてもよい。いまこの社会にあふれる「凡庸な悪」にのみ込まれないようにするには、些細な日々のコミュニケーションの喜び、いわば「凡庸な善」で対処するしかない。そうした社会に、私たちはいるのである。

てなわけで、この映画を実際に観るのを楽しみにしていたのです。いい映画でした。アーレントの考え方やそれに対するユダヤ人社会の反発と憎しみ、彼女の強さと弱さ、それを支える周囲の人々などが重層的に描かれていました。彼女は法廷でのアイヒマンの姿を見、話す内容を聴き、彼は命令に従って何百万というユダヤ人を収容所に送った。命令と良心との間で彼は「考えること」を放棄することで、虐殺で主要な役割を果たした、のだと。彼女を批判する人々は、アイヒマンが平凡な人間であることに納得しません。悪魔のような存在であるべきだと考えます。悪魔のような存在だからこそ、あのような残虐なことが出来たのだ、と。そして、憎しみに満ちた言葉を投げつけます。彼女と親しかった人々の何人かも離れていきます。

どこかで観た風景です。しばらく、この話題を続けます。

映画「ハンナ・アーレント」は今月21日までフォルツァで上映しています。

 

 

 

 

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