こんにちは、TKDです。
昨日の北日本新聞は、共同通信の世論調査の結果を載せていました。解釈改憲による集団的自衛権の行使は反対52.1%、消費税率10%への引き上げは反対57.8%、原発再稼働を進める方針を明記した政府の「エネルギー基本計画」を評価しないが53.8%、武器輸出三原則に変わる新たな輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」には反対50.4%。これだけを見ると、世論の過半数は政府の進める政策に反対しています。ところが、同じ世論調査で安倍内閣の支持率は59.8%、前回より2.9ポイント、アップしているのです。不思議な結果です。別々の調査であれば、対象の構成が違ったんだな、とか解釈できるのですが、同じ調査です。つまり、安倍内閣を支持している人も政府の進める政策には反対している、ということです。私たちは、というと漠然としていますから、「私」は多数派なのでしょうか、それとも少数派なのでしょうか?
SIGHTの2014春号は表紙におもしろい見出しをつけました。
「原発、秘密保護法、靖国参拝に反対する私たちは少数派だとは思えない」
編集長の渋谷陽一は音楽評論家らしく、自民党から民主党への政権交代を歌謡曲の役割が終わって新しい大衆音楽が現れたときと比較します。「歌謡曲が飽きられ、その役割が終わってしまっていたとしても、それを本当に終わらせるためには、次の大衆音楽が登場しない限り、新しい時代は来ないということである」「自民党という歌謡曲が役割を終えたことは明らかである」「メロディもリズムも歌詞も今の時代に合っていない歌謡曲なのだ。それでも自民党が支持されてしまうのは、自己満足のニュー・ミュージックや、うるさいだけのロックよりはましだと思う人が多いからだ」と言うのです。それはつまり、私たちが自民党的なものに代わるものを提示できているかということです。
SIGHTの名物連載に内田樹と高橋源一郎の対談があります。この号でも、秘密保護法に絡めて散り調べの可視化問題、公文書管理の問題、キム・ヨナの得点問題(荒川静香の著書の話も出てきます)、佐村河内氏のゴーストライター問題、都知事選問題と話が展開して飽きません。この号ではしかし、いつもは聞き役の渋谷陽一が途中から積極的に絡み、鼎談の形になっています。都知事選で脱原発派がなぜ負けたのかということから、渋谷は「やっぱり……ショボいんだよ、未来図が。脱原発をしても、楽しいことが思い浮かばない」「リベラルや左翼の言ってることって、全然楽しくない。エモーショナルじゃない。人の心を打たない」と言い、連載された対談をまとめた単行本のタイトルを『沈む日本を愛せますか?』としたのが間違ってたと言います。「沈む日本」には誰も共感しない、と。内田はそれに対し、「俺は共感するよ」と言います。
渋谷が負けつつある今の現状に焦り、勝つためには人の心を打つ言葉を作らないとダメだと言うのに対し、内田は「今すぐ勝てなくてもいいじゃない。僕はもっと長いスパンで考えているからさ」「リテラシーっていうのは、相手のリテラシーより高いリテラシーを要求しない限り、絶対上がらないよ」と反論します。
高橋はふたりの中間派だと言いながら、「今、即効で効くスローガンは、ないと思う」と言い切ります。
鼎談はこの後さらに刺激的なやりとりになります。本屋で見かけたら、買って読んでみてください。ただ私自身、渋谷と同様焦りを感じています。安倍政権がものすごい勢いで改革を進めているからです。取り返しのつかないところまで行ってしまうのではないか、それを止めるにはもっと人の心に響く言葉が必要だ、と。
さて、話は戻りますが、私は多数派なのでしょうか? そんなことにこだわる必要はないし、生まれてこの方ずっと少数派でしたし、少数派の言葉を聞くことの大切さも、この間言ってきたことだし。でも、多くの人が理解し共感する言葉を探し求めることは大事だと思うのです。