「テレビだけでなく日本のマスメディアが、腐朽して死臭を漂わせるようになってすでに久しい。これは受け手の側の私たちの「懐疑力」が失われ、あるいはすり減ってしまったことと関係していよう」―著者は「あとがき」でこのように記す。本書は、この世の不条理に対して敢然と「否」を発し、抗議する人びとの肖像を集めたものである。
本書の第1部に当たる「心は裏切れない」が最も心に残った。ここに登場する9名の人びとは、「日の丸・君が代」の強制などに対して毅然として不服従を貫き、訴訟に持ち込んだ。著者はその理由を、「「勝つ見込み」があるから、不服従をしているのではない。押しつけの全体が不正義であるから抵抗するのである」(305頁)と述べる。「不服従」とは決して「負の行動」ではない。正義を実現させ、真実を残す「正の行動」である。
しかし、本書に記された当局の行動には凄まじいものがある。例えば、北九州市立小学校教員の安岡さん。79年に受験した最初の教員採用試験の面接で、「『日の丸・君が代』についてあなた、どう思いますか」(17頁)と問われ、「よく分からない」と答えたところ不採用だった。その後、何とか採用された安岡さんは、同士と共に96年、「日の丸・君が代」処分を行った市や校長らを訴える。世に言う「ココロ裁判」である。
また、京都市の蒔田さん。京都市教委は「教育実践功績表彰制度」をつくり、02年と03年の2回の表彰式で1,175人の教員に、1人当たり2万円の図書カードなどを配った。蒔田さんらは、この費用全額の返還を求めて04年に訴訟を起こした。教員の心を金で縛るような制度に「否」を突き付けたのだ。
私たちは、多忙の中で懐疑力や批判力を失ってはいないか。本書は私たちの生き方を、その根源から問うている。
〈評・高木 哲也〉
樹花舎・2006年・1500円+税 (14年7月25日)