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“いい教師”ではなく“幸せな教師”になろう  北村 年子 談

人間と教育84  評者は『富高教情報』本年1月25日号コラムで「『「いい教師」ではなく「幸せな教師」になろう』」という北村年子さんの語りを紹介した。その後、北村さんの訴えが、多くの反響を呼んでいることを知った。

 本誌は、この北村さんの対談が掲載されたもの。北村年子さんは、ルポライターとしてホームレス問題などに積極的に取り組んできた方である。

 「幸せな教師になろう」と言う北村さんの語りを、本誌から正確に引用すると以下のようになる。

 「「いい先生」より「幸せな先生であってほしい」というのは、先生が幸せでニコニコしていなかったら、子どもにいいエネルギーをあげられないし、先生が「東大、GMARCHに生徒を合格させなくちゃ」と、マストの「しなくちゃ病」でがんじがらめになっていたら、ちっとも幸せではないじゃないですか。「これが楽しい」とか「ああ、この子の笑顔がうれしい」って、先生もいいとこ探しをして、幸せだからやっていることが幸せな生徒を育てることになると思う。本来学校は幸せな場所だと思うし、子どもは幸せになるために学校に行くんです」(20頁)。

 実に含蓄のある言葉だ。しかし、「幸せな教師」とは、「能天気な教師」ではない。理想の先生について北村さんは本誌で次のように語っている。「まわりに「助けて」といいながら自分の弱みを見せられる、助けを求められる「先生」であってほしいし、まちがう自分を許せる、それでも生きていていいという見本となる先生であってほしいです」(19頁)。

 「幸せな教師」とは、自らの弱さを見せることが出来て、更には、周囲の人々を赦す事ができる教師である。真の「幸せ」とは、自他への「赦し」から生まれるのだと感じた。

 〈評・高木 哲也〉

『人間と教育』2014年冬号、旬報社、1190円+税  (15年2月25日)

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