「戦争には、『被害』と『加害』の両面があります。低学年の子どもたちもちゃんと理解できます。二度と戦争はごめんだ。子どもたちに戦争の悲惨さを伝え続けることが大切です。」と石川県の学校で戦争体験の語り部をされている村上凛子さんは熱く語って下さいました。このお話を伺って、2冊の絵本をぜひ皆さんに知ってほしいと思い、「語ろう!『教え子を再び戦場に送るな』7.18集会」(2015.7.18)のオープニングで紹介しました。集会後、「あの絵本は良かった。私も学校で読み聞かせに使いたい。」と絵本についての質問が寄せられていますので紹介します。
とやま大空襲の『戦争被害』を知ることができる1冊の絵本
「りんこちゃんの8月1日~とやま大空襲~」 作:村上凛子 絵: 西嶋弘子
1945年8月1日から2日にかけて、アメリカ軍は富山市に対して空襲を行いました。この空襲は、死者2,695人負傷者7,900人で、1000人に対して16人が亡くなっており、全国平均8.7人の約2倍にものぼります。また市街地の99.5%を焼失させ、「広島、長崎への原子爆弾投下を除いた地方都市への空襲」としては最も被害が大きかったと言われています。この絵本は、当時4歳のりんこちゃんの富山空襲の体験を通じて、戦争の悲惨さや平和への願いを訴えています。作者の村上凛子さんは、この絵本のあとがきの中で、こう述べています。
「震災は いつやってくるかわかりませんが 戦争は、人間が始めるものです。戦争を、終わらせるのも やめさせるのも人間です。そこに、私は希望をもつのです。」
大陸に渡った日本軍による、『戦争加害』を知ることのできる1冊の絵本です。一部抜粋して紹介します。
「むらさき花だいこん」 作:大門高子 絵:松永禎郎 (新日本出版社)
人間が人間として生きるには、忘れられないことがあります。忘れてはならないことがあるのです。
昭和10年を過ぎた頃のことです。政治家や軍人たちは 日本の国を、アジアに広げるため、戦争を始めようとしていました。
男たちは生き方より死に方を、女たちは涙の隠し方を、子どもたちは人を憎むことを教えられていました。
中国は長い歴史のある大きな国です。つながりの深いお隣の中国に、日本は戦争を仕掛けていきました。
聖なる戦だと教えられ、お国のために、たくさんの兵隊たちが、戦場に送られました。その中に、1人の若い兵士がいました。陸につくとすぐ、激しい戦いが待っていました。
「食べものを、奪ってこい」「村を 焼き払うんだ」
「やつらを人間だと思うな」「しっかりねらってうて!」
兵士は、震えながら 目をつぶって 銃の引き金を引きました。
そこは、南京へ通じる道沿いの村でした。はだしの子どもたちが、鶏を追いかけて遊んでいました。
日本の兵隊たちは、コウリャン畑をかきわけて、村を襲い、村人たちを広場に集めました。
「中国軍をかくまっているだろう」
村人たちが黙っていると、兵隊たち、人々を銃で撃ち、剣でさしていったのです。男の人も女の人も、年よりも子どもも、みんな みんな みんな・・・・。
だんだん兵士たちは、人間の心をなくしていきました。
角のない鬼になっていったのです。使ってはならない毒ガスまで使って・・・。
こうして軍隊は、大陸まで進んでいきました。
当時の首都南京は、城壁にかこまれた古くて美しい都でした。荒れ狂った日本軍は城内になだれ込むと、プラタナス並木の下を走り抜け、町をあらし、銃声を町中に響かせました。
立ちのぼる煙、女たちのすすり泣き・・・・。日の丸の旗が上げられた城門には数え切れぬ 銃弾のあと。揚子江や運河には、悲しみの血の涙が、川をそめて 流れてゆきました。
この物語の後半には、戦争で生き残った若い兵士が、戦争後も戦地でのことを忘れることができず、苦しみ続ける姿が描かれています。この兵士はつらい思いとともに、戦場跡に美しく咲いていたむらさき花だいこんを日本各地に広めていきました。
「花も、平和も、人の手で、人の心で、守り育てられるもの」と絵本の最後には綴られています。
戦後70年の今、日本が守ってきた「戦争しない国」が壊されようとしています。戦争は二度としてはいけない。このことをしっかり伝えていかねばなりません。