高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ? 河出書房新社
~まだこの国をあきらめないために~
SEALDsという学生の組織、彼らの行っている社会運動あるいは政治運動が大きな話題になっています。彼らは、毎週のように、国会前まで出かけて、「安保法案」採決に反対する集会を開き、その集会への参加はどんどん増えていきました。彼らの運動がきっかけとなって、反対の声が、全国各地に、さらに、全国の大学の会、ママデモ、高校生たちなど世代を超えて大きく広がっていきました。
8月30日の12万人国会前デモでは、英BBCは「日本の若者は政治に無関心で無気力だと批判されるが、彼らは目覚め、沈黙することを拒否している」と伝えました。坂本龍一さんは「現状に絶望していたが、シールズや女性たちが発言しているのを見て日本に希望があると思う。(日本の)民主主義にとってフランス革命に近いことが起きている」とスピーチしました。日本国内にこれほど大きな影響を与えたSEALDsのメンバーの素顔がわかるのがこの本です。
SEALDsのメンバー(奥田さん、牛田さん、芝田さん)と明治学院大学国際学部教授の高橋源一郎さんとの対談形式と、メンバーの魅力が十分に感じることのできる構成です。SEALDsのメンバーの奥田さんが、高橋さんが大学で教えている学生この対談が実現しました。高橋さんがいうように、奥田さんが、学校教育に「洗脳」されずに、本来持っているはずの「野生」っぽさを持つ若者に成長したのかが、前半の「SEALDsってなんだ?」の対談部分でよ~く理解できます。
後半の「民主主義ってなんだ」では、民主主義をよく理解せずに、国会議員になってしまったと思われるような、多くの議員さんたちにも、ぜひ読んでもらいたいと感じる内容となっています。
印象深く感じた言葉を紹介します。
牛田:シュミットが権威国家論を論じたときに、真のデモクラシーは「歓呼」とか「喝采」だと言っている。「ヒトラー万歳!」って、みんなが全会一致で盛り上がって熱狂している状態は超民主的なんですよ。でもそれって結局、独裁ですよね。
奥田:牛田くんとしては、民主主義はそこに、立憲主義みたいなものである程度守られるという前提がないと無理ってことだよね。
牛田:民主主義は危険思想だから(笑)。民主主義だけになっちゃうと危険ですよ。
髙橋:そうなんだよね。ソクラテスの頃から危険だと思われてる(笑)。いろんな人がずっと抑制しなきゃいけないと言ってきたのは、どこに向かうかわからない性質があるからなんだね。武器にも凶器にもなるものだから。だから本当に、人間が扱えるものなのかどうか。そこでプラトンもソクラテスも「無理です」と言った。
奥田:僕が思う民主主義というのは、エライ人になんでも任せっぱなしで文句いうだけじゃなくて、色んな人がいる社会の中でどうやって生きていくか、個人として引き受けて、考えたり、発言したりし続けること。まあそれってかなりめんどくさいのですが。それはずっと言ってます。「民主主義だから仕方ないし、やるか・・・」的な。で、その主体者は常に個人じゃないといけないと思うんです。だれかが言ったからじゃなくて、自分の意思として引き受けてるのが大事。
奥田:僕の高校の後輩なんですけど、民主主義は他者と生きる共生の能力だとジョン・デューイが言ってる、って話をよくしている。学校教育と民主主義はすごく関わってますよっていう話で。社会では自分と全然違う人たちと生きていかないといけない。その中でひとつのことを決めたり、自分と違う人たちと関わっていかないといけない。そういうときに言葉だったりとか、技術的なことだったりとか、能力を高めていく。つまり、他者と生きていく能力を高めていく。それが教育だ、と。俺はこれにはなるほどと思っていて。「日本は民主主義国家だ。すばらしい!」って話じゃなくて、どうやって意見の違う人と生きていくかっていう能力を自分たち自身も高めていかないといけないなって。今の国会を見ているとそういう能力が高いとは思えない。他者と生きていくっていう感覚もうすらぼんやりしてる気がする。格差も広がっていく中で、余計その能力を高めていかないと。「選挙に行けばいいじゃん」とか「選挙に勝てばいいじゃん」って言われるけど、勝つことや自分たちがやりたいことを通すのも大事だけど、他者と生きていく能力を1人1人高めていくことが大事だと思う。
奥田:今この国のレベルがどうなっているかを思うと、民主主義とはほど遠いと言ってもいいんじゃねってところまできちゃってる。「最高責任者は私です」「総理大臣ですから正しいです」って首相が国会で発言しましたけど、僕らは絶対にそんなこと言わないじゃないですか。・・・たしかに名指しで「安倍辞めろ」って言ってるけど、民主主義の根本の話をすると「愚かな発言をしてはいけません」と一緒。陶片追放みたいに、名前を書いてダメな奴は追い出す。ギリシアから完全に追い出すというよりも、くじ引きでまずいの選んじゃった責任は俺らにもあるから、それを引き受けましょうと。制度的には平等だという民主主義のフィクションを受け取るなら、俺らがあの権威を与えていることになっている。自分たちの民主主義制度を、彼の考える政治制度から取り戻すっていうか、「民主主義はもうちょっとこっち側っすよ」って言う感じで。”TAKE BACK DEMOCRACY”です。
「あとがき」の奥田さんの次の言葉に、わたしたち国民のへの覚悟がつきつけられていると感じました。
さて、この本ができる9月の中旬には、国会での安保法制に関する結論は出ているだろう。廃案になっていればいいが、仮に止められなかったとしたら、「本当に止める」と掲げた学生たちの動きにはどんな意味があったのだろうか。いずれにせよ覚えていてほしいのは、どんな社会になるとしても、問われているのは自分たち自身だということだ。法案が通るまでも、通った後も、そして次の選挙も、問われているのは政治家ではない。「民主主義ってなんだ?」ーその答えをだすのはずっとずっと自分たちの番なんだと思う。