18歳選挙権と政治教育をめぐって ~すべての生徒に政治教育・主権者教育を~ 首都大学東京 特任教授 宮下与兵衛さん
(『人間と教育』88、2015年冬号<旬報社>より)
著者は、元は長野県内の高校教諭で、子ども・保護者・教職員の三者による協議会を長野で立ち上げるなど様々な主権者教育にとりくんできた経験があり、その指摘には私たち教職員が学ぶべきことは多いと感じます。
子どもの権利保障の歴史について
1968年は世界の若者が改革を求めて立ち上がった年。その時、日本政府と諸外国の政府がとった若者政策は全く対照的なものとなりました。諸外国では、生徒の権利保障を認める方向に。例えば、フランスでは、中学生から大学生までに生徒の意見表明権と学校運営への決定権をもった参加、高校生以上に政治的権利と行政への参加を認めています。1990年には、学校は生徒の権利を保障していないと高校生によるデモや集会が行われ、政府は、高校生たちが要求した学校への予算増額を決定。以後高校生による全国各地の集会開催で、要求を全国代表が文科大臣に提出し、教員増・教育予算増を勝ち取っており、国立大学授業料有償化提案に、高校生・大学生がデモを行い阻止してきて、現在も学費が25000円程です。学校運営への生徒参加はヨーロッパ諸国だけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでも実施されています。ユネスコは、子どもたちに3つの参加(①学校運営への参加、②社会・行政への参加、③参加型授業への参加)を保障するように世界の教師に呼びかけ、国連は子どもの権利条約を採択(1989年)発効(1994年)しました。その権利委員会から、日本は「子どもに関することを決めるとき、子どもが継続的かつ全面的に参加することが確保されるべき」と勧告されています。
戦後の日本の高校生の政治活動と文科省の禁止政策について
戦後初期(1950年代)は高校生の政治活動の生徒参加を奨励し、生徒会の学校運営への参加が行われていました。高知では高校生が平和問題、教育問題にとりくみ、授業料値上げ反対運動で知事・県教委との交渉で成果を得るなど行政に参加もしました。しかし、その後、1959年の「勤評闘争」60年の「60年安保闘争」で、高校生が全国各地で集会やデモに参加しました。こうした運動に対して、高校生のデモなどの行動が禁止され、1960年代末には、ベトナム反戦運動や学校の民主化を求める活動が広がりましたが、大学生の運動の影響を受けた高校生が授業や式の妨げとなる運動をしたことに対して、1969年に文科省は、「69通達」を出して、高校生の政治活動を禁止してしまいました。その後、生徒会の自治活動など衰退していきました。
18歳選挙権実施に向けて
文科省は2015年10月に新たな通達を出しました。今までと大きく変わったのは、校外における活動を認めたことです。しかし、ヨーロッパ諸国などで認められている校内における活動は認めていません。教師に対しても今までのように規制中心の内容です。しかし、授業における政治的教育については、「具体的な政治的事象も取り扱う」「権力行使できるよう具体的かつ実践的な指導を行う」など、今まで「政治的中立」ということで扱いにくかったことであり、実践的な可能性が広がっていると言えます。
学校における主権者教育のとりくみについて
全国の中学や高校で、模擬投票が行われていますが、投票を義務とする有権者教育ではなくて、権利としての選挙権を自覚した主権者としての力をつける教育が必要とされています。その参考となるのがドイツの教育。ドイツでは戦後、「人びとの非政治的態度がナチズムを生んだ」という反省から政治教育が重要視されており、学校で「政治科」の授業で、民主主義・地方自治・共生・ナチズムの歴史・マスメディアによる政治操作・政治参加などを学んでいます。また、ジュニア選挙(模擬投票)で大切にされていることが、投票までの事前学習で、他の教科と総合的に政治的リテラシーを学び、選挙制度やメディアの戦略などの情報が提供され、各政党の主張や候補者について調べることが各自に課せられます。政治家のマニフェストとその実績を読み取り比較できる政治的リテラシ―を身につけていくことはとても大切なことです。
主権者教育を育む自治活動とは
日本の若者の多くは、学校で生徒会活動を通じて、要求を意見表明して話し合い、合意できたら実現するという参加民主主義、協議民主主義の体験を持っていないため、「どうせ、社会は変わらない」という意識があって、選挙にも「関心がない」「分からない」そして「投票しても、どうせ社会は変わらない」から選挙にいかないということに。生徒会・教職員・保護者の三者による協議会で、子どもたちは「学校や社会を変えられること」を確信することができています。参加と共同の学校づくりは、主権者教育を行ううえでとても重要です。
立憲主義をこわそうと画策する政府は、18歳選挙権を実現した後も、様々な形で教職員を委縮させ、教師たちの手足を縛って、若者を国家国民の一員にしようとしています。今一度、私たち教師は原点に立ち返って学び直し、若者が権利としての選挙権を自覚し成熟した「市民」となるように主権者教育を行っていかねばなりません。