「つぶせクリスマス!なくせバレンタイン!打倒恋愛資本主義!!モテ階級の反動攻勢に対し決起せよ!」。これは「革命的非モテ同盟」なる団体が「恋愛資本主義」を粉砕するため街頭で配布しているビラの一節。彼らは06年のクリスマスに忽然として登場したとのこと。以上は、雨宮処凛『プレカリアートの憂鬱』(講談社、2009年)からの引用だ。
「恋愛資本主義」―言い得て妙なる言葉だ。現代の若者文化の本質の一端を表している。本書は、この「恋愛資本主義」に係わる事象の歴史を詳しく述べる。
例えば、「クリスマス」。「恋人と過ごすクリスマス」が定着したのは雑誌『アンアン』が煽った1983年からとのこと(48頁)。だが、ここには大人たちの悪巧みがある。「クリスマスは1983年を境に日本の高度資本主義経済の中に取り込まれ、時期を同じくして収奪対象としての「若者」が作り出され」た(59頁)と堀井は喝破する。次に「バレンタインデー」。これがブレイクするのは1977年に「バレンタインデー用の専用チョコ」が売り出されてからとのこと(62頁)。正に、「恋愛」は資本主義のエサになってゆく。現代の資本主義は、不必要な消費を煽ることで発展する。「恋愛資本主義」はその典型の一つだ。
更に堀井は続ける。日本人の生活を変えた主なものは、「80年代に目に見えて普及したビデオデッキとコンビニエンスストア」(90頁)、「1997年から広まった携帯電話」(140頁)などだ。これらの登場に対して堀井は「機械の進歩は、生活を便利にするだけであって、人を幸せにするとはかぎらない」(152頁)と言う。
このように、若者は資本家の悪巧みによってお金をむしり取られ、「殺されて」ゆく。昨今の健康ブームは、年配者への「健康資本主義」とでも言えようか。
〈評・高木 哲也〉
講談社現代新書・二〇〇六年・七〇〇円+税
(14年2月10日)