1995年に、衆議院議員の高市早苗は国会でこう言い放った。「(戦争責任に対して、引用者)少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」。
愚かである。本書は、なぜこの高市発言が愚かなのかを考察するための絶好の書だ。
著者はまず、「戦後生まれの日本人にとっては戦後責任は、直接には罪責としての責任ではありません」(40頁)と述べる。しかし、続けて「戦争当事者とはいえない世代にとっての戦後責任は、基本的にはまさにこの応答責任、レスポンシビリティとしての責任と考えられるのではないでしょうか」(同頁)と述べる。現在もアジアの国々から日本は戦争責任を問われ続けている。その「問い」に対して私たちが誠実に「レスポンス(応答)する」ことが必要なのだ。
それでは、この「応答責任」とは何か。著者は次のように述べる。「この責任は、戦後責任をきちんと果たしてこなかった日本国家の政治的なあり方に対する責任として、日本国家が戦後責任をきちんと果たすように日本国家のあり方を変えていく責任であり、日本政府に戦後責任を果たさせることを通じて、旧帝国の負の遺産を引きずった既成の日本国家を批判的に変革していく責任です。(中略)「日本人として」戦後責任を果たすとは、侵略戦争や植民地支配を可能にしたこの社会のあり方を根本から克服し、日本を「日本とは別のもの」に開かれた「別の日本」に変革していくことにほかならないと私は思っています」(60頁)。この国の「政府」が他国から問われている責任は、この国の政府の大本を民主的に担う「私たち国民全て」が担うべきではないか。その意味で高市発言は間違っている。
〈評・高木 哲也〉
講談社学術文庫・2005年・960円+税 (14年4月10日)