本書の副題は「『ソクラテスの弁明』『クリトン』超現代語訳」。両書は古くから訳されているが、初心者にはやや分かりにくい。しかし、この「超訳」は極めて読みやすく、ソクラテスの思想が明らかになる。
さて、ソクラテスの言葉の中でも最も重要な言葉は、『クリトン』で述べられた「ただ生きるのではなく、善く生きることが大切だ」というものだろう。では「善く生きる」とはどのような生き方か。岩波文庫の久保勉訳は「善く生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだ」(74頁)。角川文庫の山本光雄訳は「善く生きることと立派に生きることと正しく生きることとは同一である」(75頁)。う~ん、わかりにくい。これを本書は「この“善く”とは、正しく生きる“正義”、美しく生きる“美”と同じだよ」(141頁)と訳す。「善」に相当するギリシア語の「カロカガティア(善美のことがら)」にもとづき、「善いものは同時に美しい」というギリシア人の考えをしっかりと表現している。
また、ソクラテスがなぜ裁判で命乞いをしなかったのかに関して、この「超訳」は「みなさんが、望まれるような、お化粧をした言葉で、弁明を行って長く生きるよりも、真理が宿る裸の言葉で、自分流の弁明を行って、死を迎えたほうが、はるかに満足に思うのだ」(106頁)と訳す。文献学的に言えば、付け足しだらけの全くの意訳である。しかし、読者にはソクラテスの真意がグイグイと伝わる訳文だ。
このような「超訳」を行った理由を著者の新國は「はじめに」で、「古典を料理して、今風にリアルな視点で意訳すると、当時の社会に横行した悪に、ソクラテスが抱いた怒りが、そのまま、時代や民族、それに国のちがいも超えわれわれの怒りとなる」(7頁)と述べる。
実に然り。本書を一気に読破し、道を誤った現代社会へ、ソクラテスの怒りをぶつけたい。
〈評・高木 哲也〉
せせらぎ出版・2013年・1200円+税 (14年5月25日)