2011年の福島原発事故から早や3年余が経過したが、あの巨大事故を経験しても、政府や電力会社は原子力発電に固執し続けている。その理由の一つとして著者は、「軍事利用と民事利用の両面にまたがる「日米原子力同盟」あるいは「日米核同盟」」(6頁)が存在するからだと強調する。この「日米同盟」は、日本が「脱原子力国家」に歩み出すことを阻んでいる。この同盟の経緯を著者は次のように説く。
「アメリカではスリーマイル島原発事故(1979年)を契機として1980年代以降、原子炉の新増設契約がほとんどキャンセルされたため、アメリカの原子力メーカーは厳しいリストラを実施し、その結果として単独では完成品を製造することができなくなった。その穴を埋めるように日本メーカーが、アメリカの原子力発電ビジネスにとって不可欠のパートナーとなったのである」(93頁)。
また、「(なぜ日本が「原子力大国」となったのかについての歴史的プロセスに重要な役割を演じてきたのが日米関係であるという)ことは日本の商業用発電炉が全て米国型軽水炉であることだけをみても明らかである。そしてそうした日米関係には軍事利用に関する利害関心が投影されてきた」(122頁)。
この国は、一体どこまで米国に追従すれば気が済むのだろうか。
さらに著者は、原子力に国家が深く関与する理由を、「原子力は産業技術としては決して、誰の助けもなしに生きていける強靱な技術ではなく、むしろ国家の手厚い保護・支援なしには生きていけない脆弱な技術である」(13頁)からだと述べる。
私たち国民が「原子力は脆弱な技術である」と正しく理解し、米国に擦り寄り追従する日本政府に否を唱えることーこれが、この国が「脱原子力国家への道」を歩み始めるための第一歩であろう。
〈評・高木 哲也〉
岩波書店・2012年・1800円+税 (14年6月25日)