原水爆禁止2014年世界大会に参加してきました。
今年の原水禁世界大会のメイン集会は広島市で8月4~6日に行われ、世界そして日本各地から約7000人が参加し、富山県からも15名が参加しました。
総会開会式
日本被団協の坪井直さんのあついメッセージに感動
坪井さんは20歳で被爆。全身に火傷し死を覚悟することも。断末魔の被爆者の叫びや「助けて!水を下さい!」という悲鳴に応じられなかったことをずっと悔い、今も悪夢となって苦しんでいます。12度の入退院を繰り返し、今でも癌、心疾患、再生不良貧血症などに苦しみながらの毎日です。1発の原爆が広島の街を破壊し、原爆投下後の12月末で約14万人が死亡しました。その後69年間で、原爆に関わった被害者は100万人を超えているとも言われています。原爆の被害者の多くは、幼い子供であり、女性であり、老人でした。人類の未来のため、核兵器の非人道性を徹底的に追及されねばならないのです。かけがえのない命を殺傷し合う戦争はいかなる理由があっても、絶対に許されない。戦争で国民を守ることはできない。いわんや、核兵器の1発で何万人を殺害するなどもってのほか。核兵器廃絶にむけNever give up!と、熱心に語って下さった姿が印象的でした。
被爆の実相を知り想像することが非核の力に
世界大会総会では、世界の代表からの、「被爆者が語る破壊の実態と被爆者の苦難の数々を知るという人道的アプローチこそが、世界の世論を非核化へ導く大きな力となる。」の発言に勇気づけられました。
核兵器の非人道性を、今後どう伝え続けるか?
被爆者の平均年齢は79歳と高齢化が進む中、被爆者の受けた体験(熱線・爆風・放射線による障害・地獄絵図の記憶)。被爆者から病気がうつるなど根拠のない差別と偏見。そして放射能による後遺症、癒えぬ傷による闘病など人生の長きにわたる苦しみ。」などを聞き取り、記録に残す活動が急務です。そしてどのように、語り継がれていくのかが大変危惧されます。しかし、若い世代(各地の若者、高校生)が役割を少しずつ担い始めているということに、明るい未来を感じました。
広島市平和記念式典
苦悩する「広島市平和記念式典と日本」
広島・長崎の原爆投下から69年。集団的自衛権行使容認後となった今年の広島市平和祈念式典にも6日に参加しました。「ヒロシマの悲劇を繰り返してはいけない!」と祈る4万5千人の人。その一方で、「抑止力のために、今こそ原爆は必要だ。」と暴力的なコールが、式典の前日、そして当日までも公園の周囲で発せられます。被爆国として向かうべき道を逆走している日本の在り様に憤りを感じます。幸い43年ぶりの雨が、式典を厳粛なものにしてくれました。式典後の安倍総理と被爆者7団体との懇談会で、首相に対して集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回するよう申し入れ、要望書の冒頭で、「政府は憲法の精神を消し去ろうとしている」と非難。首相は「目的は国民の命と暮らしを守るため、戦争をする国になるという考えはない」とする首相。しかし、解釈改憲はごまかしでしかないのです。
分科会
被爆の実相 ~あまりにも非人道的な事実~
畑谷由江さん(77歳)のお話より
小学2年生の被爆体験 ~友との別れ、地獄絵図の記憶、生き残るという罪悪感、伝える使命感~
8月6日(日)、広島市横川町で被爆しました。学校へ行く途中、仲良しのユキエちゃんを家の前で待っているときに原子爆弾が落ちました。目の中に閃光が入り、爆風で飛ばされて、意識を失い、その後、暗い穴のような所にいるのに気付いたのです。ユキエちゃんは鉄の柵に挟まれていて、後ろから押しても動かない。だんだん声も小さくなる。お母さんがはしごをかけて助けてくれたが、ユキエちゃんを助けてあげることはできなかったのです。「よしえちゃん逃げて」の声が耳に残りました。地上に出ると、周囲は火の海、人々の皮膚は垂れ下がり、目玉は飛び出し、血を流し、髪は逆立っています。川の中は、やけどした人の頭で黒く見え、多くの人でいっぱいになっていました。その時の地獄絵図が心の中に今も焼き付いているとのこと。その後、黒い雨が降ってきて、それを肌に受けたことで、放射能による被害で、いろんな病気に苦しみ、70年間ずっと薬を飲み続けています。お母さんは、中学1年生のお兄さんを探し続けてさらに被爆しました。お兄さんは、爆心地1.2kmで建物壊しの作業中に爆死しました。
その後、彼女の被爆した多くの友人が、早くに亡くなっています。最初は、「自分が助かった」ことに罪悪感を感じ生きるのがつらかったそうです。しかし、今では、もらった命を大切にし、悲惨な出来事を伝えることが大切だと感じているとのこと。「原爆はこれから先もずっと使ってはいけない。恐ろしい戦争は二度としてはいけない。」と繰り返し語られたのが印象的でした。
高橋信雄さん(75歳)広島県原水協代表理事・原爆遺跡保存運動懇談会副座長のお話しより
被爆体験の追体験をつなげ、フクシマともつなぐ ~あの時から、今、そして未来へ~
教職を退職されて16年。爆心地にいた人の話をきくことをできないのが現実。被爆者の体験を追体験し、原爆投下の瞬間について、典型的被爆体験をつなぎ、あの時何が起きたのかを伝え、さらに、フクシマとの体験を結ぶことで、被ばくの実相の今日の問題との接点を知り、核について立ち向かう力とすべきと語って下さいました。
(1)原爆ドームからわかること
原爆ドームの今の姿は、あの日のあの瞬間を伝える、大切な原爆遺跡です。原爆ドームのドーム部分の姿がなぜあのように残ったのか?それを、検証すると・・・
① 原爆爆発の瞬間
原爆投下後、一億分の1秒の速さでウラン235が核分裂し、巨大なエネルギーの放出で1万℃を超える火の玉をつくります。熱エネルギーが光となって衝突すると、熱エネルギーに戻り、熱線は1秒間に何kmも膨張して、炸裂音がドンとなります。空気は音速を超えて動けず、空気の壁ができます。原爆ドームのドーム部分は、表面が一瞬で沸騰し、風圧で壁がくずれ、鉄骨だけが残ってあの姿になったのです。木造の建物がペシャンコになっていたというのは、天井・屋根が音速を越えて吹っ飛んだから。人間の場合、熱線で一瞬にして皮膚の表面5~6mmが沸騰してやけど。熱線のあびたところから皮膚がはがれたようになります。
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「はだしのげん」の正当性
「はだしのげん」の原爆投下後の1場面から、「1km先にピカ(光)を見る。一瞬で家が押しつぶされ、家族が建物の下敷きになり、1時間後に熱(2次被害)で、町全体が火の海になり、生きたまま焼き殺され、「痛いよ~、あついよ~」と言いながら死んでいく場面は、科学的にも説明がつくのです。
(2)ある軍医の体験 ~核はあまりにも残虐な兵器~
似島陸軍野戦病院に、あの日、瀕死の傷を負った被爆者が1万人も送られてきたのです。軍医の西村さんは、医薬品が底をつくなか懸命な活動を続けました。ひどいやけど、ガラスの破片が全身にささった人、けがが軽くても放射能で亡くなる人、彼は3日3晩5,000人分の手足の切断手術をし続け、4日目には麻酔薬や衛生材料もなくなりました。まだ150人の患者が手術を待っていました。麻酔なしの手術の希望者を募ったとき、男子でさえ1人の申し出もなかったのに、1人の女子高校生が希望し、手術を受けました。手術の際の断末魔のようなうめき声を忘れることはできないとのこと。手術のできなかった人は、その後まもなく死亡されています。治療を受ければ助かる命もあったはずと無念さが残ります。西村さんは、広島の被爆者のように、ひどい人たちを見たことがないと語ります。傷のひどさ、人数の多さ、赤ちゃんから年寄りまで人を選ばず、まさに無差別虐殺行為であり、この世の地獄。このような非人間的な兵器が存在することが許されるのでしょうか?
(3)広島の詩人、峠三吉さんの詩より
「ちちをかえせ、ははをかえせ、としよりをかえせ、こどもをかえせ、わたしをかえせ、わたしにつながる、にんげんをかえせ、にんげんの、にんげんのよのあるかぎり、くずれぬへいわを、へいわをかえせ」 彼は、「一家全滅」と「人類全滅」をつなげて、原爆の悲惨さと犯罪性を訴えています。
広島では、死亡届を出すものがいない戸籍(幽霊戸籍)が数多く残っています。100年経って死亡届がでない人は市町村の権限で死亡とされます。原爆では、「人として死ねない、人として扱われない」という事実もあります。
(4)被爆者とは・・・
被爆者には次の4種類があります。
1号被爆者:爆心地から2km以内で直接被爆した人(直接被爆者)
2号被爆者:原爆投下から2週間以内に、救護・医療・親族探しなどのために、爆心地から2km以内に入った人(入市被爆者)
3号被爆者:被爆地の外に避難した被爆者の救護や遺体の処理に携わるなどして残留放射能により被爆した人(救護被爆者)
※3号被爆者のような被害もあり、原爆は逃げてきた人を助ける活動をも許さないのです。
4号被爆者:1~3号被爆者の胎児だった人(胎内被爆者)
(5)放射能障害とは・・・
放射能が体を通過すると、細胞全体を壊すのではなく、細胞内の染色体を切っていきます。人の体は染色体の糸を戻そうとします。しかし、多くの場合、染色体の糸は戻らず死に至ります。(1号被爆者)入市被爆では、巻き上がった放射能のつぶが体に入り、それが体内で放射線を出し続けます。(内部被曝)。切れた染色体の糸は戻ろうとしますが、間違ったくっつき方をします。2歳で被爆した佐々木貞子さんは、体内に入った放射線により、酸素を運ばない赤血球をつくり、白血球をつくれない体となって苦しみ10歳で亡くなりました。
(6)福島原発と広島原爆
原爆は一瞬にして、ウラン235(80%濃縮)を核分裂させて、大量の放射線をばらまきました。福島原発も広島型原爆と同じウラン235を使っています。ウラン235(5%濃縮)をゆっくり核分裂させているという点が原爆との違い。原爆のような強烈な熱線も発光もありませんが、放出された放射能量は、原爆の200個分とも言われています。最も心配なのは子どもたちです。グラウンドで走り放射線を吸い込んだ場合、甲状腺にくっついて放射線は動かなくなるのです。広島の被爆者の場合、10~20年経ってから病気になっています。今、福島原発は放射性廃棄物も処理できない状態にあります。本当に危険な状態です。国は、広島・長崎の原爆で内部被曝は起こらなかったという立場にたっています。それは、検証を行わなかったためにデータがないだけです。内部被曝は起こり得る事実です。
オリンピック招致のプレゼンでの、安倍総理の「汚染水は完全にコントロールされている」という無責任な発言。自民党の石破氏による、「原発を動かし、いつでも核兵器が作れる状況を失えば日本は滅ぶ」とする問題発言。非人道的な原爆による被爆を受けた国として、あまりに恥ずべき政治状況です。
総会閉会式
学ぶべき、マーシャル諸島共和国の輝かしい行動
ビキニ環礁で行われたブラボー実験から60年、マーシャル諸島共和国(人口6万人程度)は4月、アメリカ、ロシア、中国など核保有9カ国を相手に、「早期に誠実な核軍縮交渉に取り組むよう求める」訴状を国際司法裁判所に提訴しました。世界大会では、アネッタ・ノート駐日公使があいさつしました。
公使は、放射線が原因のがんで、祖父母と2人のおばを亡くし、今後、自分も家族もがんで死ぬかもしれないという恐怖を感じているとのこと。「この思いを誰にもさせたくない。全ての人々のために開始した裁判に賛同お願いします」と力強く語った姿に、日本人が学ぶべき国はマーシャル諸島共和国であると感じました。
2015年NPT会議に向けた行動
アンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表から、「みなさんと同じ目標をめざす世界中の仲間たちは、日本の多彩な取り組みや数百万もの署名を集めていることに励まされ、核軍縮に向け努力している。」との発言に、世界とつながり、一人でも多くの人々に伝えていくことの大切さを強く確信しました。
さらに、次のように今後の展望を語りました。
「私も、皆さん同様、軍縮で大きな前進が見られないことに悩んでいます。核軍備には長期計画も多くの予算もありますが、核軍縮には計画も、交渉もないのです。多くの国は相変わらず核抑止論を安全保障政策の一部として取り入れています。しかし、今、世界の流れを軍縮に向けるための多国間の取り組みがすすんでいます。10月には、国連で20の核軍縮を扱った決議案の検討、採択を行い、12月にオーストリアで核兵器の人道的影響に関するウィーン会議が開催されます。その結果を受けて、来年5月にニューヨークの国連本部でNPT再検討会議が開かれます。
私たちは、核軍縮の重要性、その早期実現を阻む障害、核軍縮を前進させるのに何が必要か同じ意見です。私たちは、核兵器廃絶のメリットと廃絶に失敗した場合の恐ろしい結果を国民に理解してもらう必要があります。核軍縮が空想で、実現不可能だとか、専門家にまかせるべきだという意見に反論しなければなりません。核兵器が政治的にも軍事的にも価値がない兵器であり、それをなくさなければさらなる拡散の種をまくだけであると証明しなければなりません。・・・」